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読書ノート634「客観性の落とし穴」を読んだ

この本がよく売れているらしい。
今、多くの人が、客観性に懐疑的だということなのだろうか?
何とはうまく言えない、言語化できない、社会や世界の不条理、不具合、おかしな進み具合に対する疑念、疑問に応えてくれる、なんかそんな手がかり、予感を「客観性の落とし穴」という題名が感じさせてくるのだとしたら、この一冊はタイトルだけで成功したともいえそうだ。
最少の2章くらいは、ちょっと退屈な展開なのだが、まあ、客観という概念がそう昔からあったというわけでないことは伝わってくる。
また、数字によって支配され序列化された社会が、人々にもたらされる不安、あるいは、社会的に弱い立場の者に対して厳しくあたることなどに通底しているという指摘には直感的に(客観的にではなく!!)頷けられるところだ。
そのあたりまでは抽象的な話が多いのだが、それらの議論を受けての、施設や障害者あるいは優生思想や虐待などの話になると、がぜんわかりやすい話になってくる。
もとより、数値化や統計に裏付けられた科学を否定しようという趣旨の本ではない。
しかし、それらだけでは伝わらない、計数化できない経験というものがもつ意味の大きさを伝えようというのが本書の狙いで、後段はそうした点を明らかにするために「語り」の重要性ということが、様々な当事者たちの実際の語りをつうじて、それらを腑分けするがごとく、切り崩していく作業がかなり長々と紹介されていく。
で、客観性の落とし穴という話にどう戻るかのかと気をもんでいたのだが、あまりそういう形には収斂することのない感じで終わったような、ちょっと手応え感のないままに終わった気にさせられる一冊だった。
でも、数値や統計至上主義に陥らないことは大事な視点だと思うし、この著者のX/Twitter などは興味深く、いつも読ませていただいています、はい。
この著者は、自分が書店をやってた時代には見えていなかった書き手で、他にも同様に当時は見えていなかったが、最近では活躍が見られる書き手がようやく目立つようになってきて嬉しくもあるが、同時に、ああ、もう現場には戻れないだろうなあという一抹の寂しさも感じられるところ。



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