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読書ノート649「増補・復刻 幕間のパントマイム 授業改革運動と山内校長代行退陣の狭間で 麻布学園 1970年4月~1971年11月」を読んだ

「読んだ」というか、この本を出版、刊行させてもらった。
確かに、出版する側として編集者的には読んだのだが、どちらかというと、この場を借りて宣伝といったところ。
タイトルに「復刻」とあるように、実は本書は1985年に刊行されたものの復刻である。
復刻の経緯については、下記にある電子書籍版の立ち読みの部分でお読みいただきたい。
・電子書籍

単なる「復刻」だけでなく、「増補」と名打っているのは、旧版の末尾に掲載されていた資料に加えて、今回新たに発見された資料、あわせて362点、PDFで1,100ページ以上をwebアップし、本文中のQRコードからからリンクできるようにしたためである。
1969年から1970年にかけて、麻布学園では、授業・試験・評価などをめぐって授業改革運動と呼ばれる大きな動きがあり、その反動で、こうした動きをおさえこむために山内一郎という校長代行が送りこまれてきた(校長ではなく校長代行だったのは、東京都によって校長資格が認められなかったため)。
この校長代行によって、生徒たちの自由な活動は抑圧され、政治活動は禁じられ、多くの処分者を続出する事態となった。
「幕間のパントマイム」 https://amzn.asia/d/5KfW1W7 という一見、よくわからないタイトルはこの時期をさしている。
しかし、山内登場後1年有余の期間に生徒の怒りは深く、熱く、沈殿、堆積され、1971年10月3日の文化祭会場における決起となって爆発することになった。
その後はひと月以上にわたりロックアウトが続き、決起した者の多くが事後逮捕、鑑別所送りとなったものの、約1か月にわたり、生徒たちによるクラス討論、教師による学外授業などが根気強く継続して開催された。
教師、保護者も校長代行支持派と反対派に分裂し、頻繁な文書合戦がかわされるなか、翌月、13日と15日に全校集会開催が実現し、その場で、ついに校長代行の退陣を確約させるに至ったのである。
結果として、山内校長代行によった退学させられた者は復学し、校長支持派にまわった教師らは退職していくという事態にさえなった。
1960年代後半から全国各地で大学や高校で闘争、紛争などと呼ばれる動きは数えきれないくらいあったものの、これほどの完全勝利というのは例を見なかったのではないかと思われる。
本書は、こうした一連の動きとその背景を理解するための一冊である。
なお、冒頭でふれた、1969年から1970年にかけての授業改革運動についても、その詳細な学内討議の経緯などを集約した「よみがえれ!授業改革運動 対話と合意による解決を目指した生徒と教師の葛藤 麻布学園 1969年11月~1970年3月」 https://amzn.asia/d/6eAXWZP が、ほぼ時期を同じくして刊行されたので、あわせてお読みいただければ幸いである。
この2冊は、お互いの出版の動きを知らないままに作業を続けていて、偶然にも同時期に刊行されるという不思議なめぐりあわせとなった。
なお、麻布学園からは「麻布学園の一〇〇年」という、恐ろしく部厚な、箱入り3部作の書籍が刊行されており、この中にも、相当ページ数を割いて、上記期間の動きについて記載がなされている(古本市場で入手可能)。
また、このたび初めて知ったのだが、学園図書館内には「学園史資料室」という部屋が設けられており、1970年前後関連の資料も多数保存されている。
「麻布学園の明治維新」と呼ぶ人もいる、1969年から1971年の時期に対する学園側の敬意と配慮が感じられるところである。


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