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朝日新聞「声」覧投稿 ボツ原稿 パラリンピックにはなぜ開催反対の声が聞かれなかったのか?

オリンピックの際には開催反対の大きな動きがあったが、パラリンピックの際には、オリンピックの際ほど開催反対の大きな動きが見られなかった。
しかし、新型コロナウィルスの感染状況からすれば、オリンピック開催前よりもパラリンピック開催前のほうが厳しい状況であったことからすればおかしなことである。
考えられるひとつの理由は、パラリンピック自体がオリンピックにくらべて二流のスポーツとみなされていて、スポーツというよりは福祉の一部のようなとらえ方がされていたためではないだろうか?
しかし、これは障害者スポーツに対する誤った見方というべきであろう。
そのことから考えられるもう一つの理由は、パラリンピックに反対することが、あたかも、パラリンピックのかかげる多様性、共生社会などといった理念自体に反対しているかのようにうけとられることを危惧して反対の声があがらなかったのではないかということである。
これもまた、障害者あるいは福祉にからむというだけで、開催の是非という問題を真正面から見据えることを回避した、遠慮というか、忖度というか、ことなかれ主義というか、いずれにせよ誤った態度であったというべきではないだろうか?

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