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LGBTQ+と仕事

10/1(土)~ 11/19(土)の間、僕は、株式会社TENGAさんと株式会社JobRainbowさんが合同で開催する『Pride School 2022』に参加した。
そこで、当事者、アライといったセクシュアリティに関係なく、いろんな人たちとオンライン上で、学び、交流してくということに参加した。

今回のタイトルにもあるように、そこで、僕は、LGBTQ+と仕事ということを考えさせられることになった。

参加者としては、高校3年生くらい ~ 70代までの人がいたのだが、その環境がすごく刺激になった。このPride Schoolでいろんな人の話を聞くことは楽しかったし、いろんな人の考えを知ることは僕にとってめちゃくちゃ勉強になった。

これまでの僕はというと、、関西に移住するまでは仕事についてあまり考えてこなかった。そして、自分のやりたいことがわからなかったのだ。

高校の頃は、音楽・・・とりわけて、ドラムを演奏するってことが好きだったし、ドラムを演奏しているときは無心になれた。高校を卒業して、1年の浪人期間を経て、僕は音楽系の専門学校(日本工学院専門学校と専門学校東京ミュージック&メディアアーツ尚美)2校に行った。尚美に行っているときにHIVに感染し、今後のことをどうするか考えざるを得なかった。それでも26歳くらいまではプロを目指してどうするかを模索していたのだが、結局27歳を目前にプロドラマーになることはあきらめた。そんなこんなで、今後どうするかもわからなくなってしまった。

そんな時に母に言われたのが、「お兄ちゃんたちと同じことをやってみたら?」ということだった。と、いうのも、次男や長男の嫁や次男の嫁がIT系の業界のコールセンター系の仕事をしていたのだ。

それで、僕はテクニカルサポート、企業向けダーク回線敷設に伴う日程調整、4G回線が始まる前の3.9Gの頃に通信サーバー関連の業務だったりをやってきた。(20代の頃は、書店、コンビニなどをサービス業を経験もしてはいるが・・・。)

だが、全くIT、通信の業界はに馴染めなかった。そして、鬱にもなった。

そして、鬱の療養の最中に行ったIT系の派遣会社の登録時アンケートに「鬱になったことがありますか」という、心無い質問にビックリしたし、傷ついたのだ。

IT、通信の業界で何とか働き続けたいと思っていた頃は、自分が障害者であること、LGBTQ+であることを言わずに働いてきた。いわゆる、クローズでの就業をしてきたのだ。とは言え、年末調整の時に障害者であることを書くので、会社の一部の人にはバレてしまっているのだが・・・。LGBTQ+であることについても、彼女がいるのか聞かれたときには、兄嫁の名前を出して上手くかわしていたくらいだったのだから・・・。

そんなこんなで、自分がLGBTQ+で障害を持つ当事者だということは、凄くハードルが高かった。
なので、クローズにしている当事者の気持ちはよくわかる。

それで、僕は33歳くらいまでは、基本的な就業スタイルは一般枠での雇用・・・いわゆるクローズで仕事をしてきたのだ。

だから、何度も鬱を再発していたのだ。

そんなこんなで、しんどい想いをしていた中、今から11年前、2011年12月に今の相方と出逢ったのだ。

出逢ったころは、お互いが障害を持つ当事者だってことは知らなかったのだが、僕は出逢ってすぐに相方になるであろう相手にHIVのことを話していた。相手は、そのことを何も言わずに聞いてくれたのだ。

その後、僕は、今の相方に「付き合ってほしい」と告げたのだ。答えは何もなかったけど、一緒に居ることになった。それでも、相方が何か言いた雰囲気であることはわかっていたけど、それを無理に聞くことはなく時間が過ぎた。

積極的には聞かなかったのだが、相方から障害をもつことを明かされた時は、凄くうれしかったし、これからも一緒に居たいと思えた。

そんなこんながあり、ある時、相方と一緒に仕事探しをすることになるのだ。仕事探しで東京の飯田橋にある「東京しごとセンター」に行った時、「東京しごとセンター」では一般枠でしか仕事を探せないという現実を知り、そこで決まった仕事も障害を持つLGBTQ+当事者にはきついものだったのだ。

それで、半年ぐらいで決まった仕事を辞め、本格的に障害者枠で仕事を探し始めたのだ。仕事探しを始めて改めて知ったのは、HIV陽性者は障害者手帳を持っていてもHIVであること、LGBTQ+であることを知られないようにする為にクローズで働く人が多いということだった。

それに対して、ハローワークで僕がお世話になっていた担当の人は、「HIVの人にこそ、障害者手帳を使って仕事をしてほしい」と、いうことを言っていた。

確かに、僕が障害者枠で一般の人達と同じような仕事をしていく中で、障害者であるということを同じ部署の人達や人事などに伝えておくというのは、当事者にとって大事なことだなって思った。

ある程度のことは言われるが、障害者、LGBTQ+当事者として配慮してもらえることもそれなりにあるなと感じたからだ。

感じながらも、僕自身、精神福祉手帳を持っていないので、会社には鬱であることを言わずに仕事をしていたこともあり、何度か鬱を再発し、会社を休職したりもした。最終的に仕事を休職 → 退職ということになってしまったのだが・・・。

それで、思いっ切って関西に移住したのは良かったと思っている。
最初に住んだのが京都で、京都七条のハローワークには京都障害者職業相談室という障害者専門の仕事探しに特化したところがあるのだ。それと、京都テルサの中に「ジョブパーク」があり、その中に障害者専門の部署「ジョブパークはあとふるコーナー」があるのだ。また、京都障害者職業相談室の上の階には「京都障害者職業センター」があるのだ。ハローワークは、この「京都障害者職業センター」と「ジョブパークはあとふるコーナー」と連携が取れていているので、障害者の就業に対するサポートがしっかりしているのだ。

京都でこの3つの施設を知り、支援者の重要性を知ったこと、その中で相方の仕事探しの支援者として関わることがあったことにより、僕はLGBTQ+
や障害を持つLGBTQ+当事者と仕事ということを考えるようになった。

特に相方の出来ることが少なかったこともあったので、出来ることは何なのかということを考えることで、LGBTQ+の中にもいる発達障害、知的障害など、一般枠での就業が難しい人たちのことも考えるようになったのだ。

そして、コロナ禍になったこともあり、パソコンを使うことが難しい人たちの就労についても目を向けていかなければならないなってのも感じ始めていた。

僕が参加したPride Schoolで成果発表として、プレゼンテーションを行うということがあったのだが、そこで、僕は「あらゆるLGBTQ+の雇用促進のためのコミュニティカフェ」をテーマに発表をしたのだ。

なぜカフェ・・・とりわけコミュニティカフェだったのかというと、僕も相方も料理をするのが好きで珈琲が好きだったからだ。
また、関西に移住をして(今は大阪に住んでいるのだが・・・)、あまり友達が出来ていないというのもあったからでもあるのだが・・・。

LGBTQ+の人や障害者の人の中には、飲みの場にもなっている新宿2丁目のような場所に行くのが苦手という人も一定数いる。そして、お酒の飲めない人もいる。

なので、僕は、新宿2丁目、堂山町といったゲイタウンとして有名なところではなく、気軽に来れる場所にカフェを開業したいと考えている。
これは、僕の専門学校時代の同級生がやっているゲイバーがお客さんのセクシュアリティに拘らない店というのがあって、そこが居心地が良かったという経験があるからだ。

なので、ゲイタウンでやらないことが、セクシュアリティに拘らないという意味では良いのではないかと思っている。

Pride Schoolのプレゼンテーションでも言ったのだが、自社でLGBTQ+や障害を持つLGBTQ+を雇用すること、これが当事者の居場所になり、自分の仕事に自信を持ち、自分の仕事を誇りに思う。そして、自分の職場に客としても行きたいと思うようになってくれれば、という想いがあるからだ。

まだ、SNSで発信を始めたばかりなので、まだまだ、これからなのだ。

今後事業化に向けては、Pride Schoolでもらったアドバイスなどを活かし、自分の不足しているところを洗い出し、やりたいことの実現に向けて、動き出していきたいと思っている。

この想いを言えるようになるまでには、いろんなハードルがあったのも事実だ。

でも、相方、Pride Schoolで出会った仲間がいたからこそ、僕は自分の想いを声に出したいと思えたのだ。

両親、相方、多くの仲間たちに感謝を言わせてもらいたい。

ありがとう!!

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