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久しぶりにnoteを触る
最後に触れたのは11月らしい。
しかしそれも書ききれなくて下書きのままで。
目の前のことをただやるしかないという気持ちで半年近く駆け抜けた。
人生でやっと自由を手に入れた、幸せな日々だ。
でも相対的に幸せなだけなのかもしれない。
わかってる。
わかってる。全部わかってる。
わかってるから苦しいし、わかってるからやらねばならない。後ろに退くことも、立ち止まることも許されない。
前に、前に、軋ませながら進んでいかねばならない。
じゃあ何が自分を動かすのだろう、って考えた時に、「幸せな人生」という抽象的なものでは今は動けないことに気づいた。
私が今一番必要なもの、涙が止まらないくらいほしいもの。「幸せな日常」。
お茶すること。
散歩すること。
アートに触れること。
どうでもいい話をすること。
しかしその全部が、「誰か」ありきなのだとわかった。でも今はそれが叶わない。
わかってる。
全部わかってる。
理解できる。納得できる。
でも受け止めただけで、結局我慢でしかなかったみたいで、ただ苦痛でしかないみたいで。
だからせめて、1人だけでできることを、「失われた私の日常」を、「今の日常」に入れてみることにした。
まだ誰も起きてない時間に海へ行ったり、
こうやって久しぶりにnoteに触った。
「何か変わるかも。気分転換になるかも。」
それだけなのだけど、わからない。
全部わからない。
何がわからないのかわからない。
それも苦しい。
欲しいのは正解でも、正論でも、アドバイスでもない。
ただ、わかってることに向き合う覚悟と、わからないことに挑戦する勇気がほしい。
それも、わかってる。
でもそれも、「日常」ありきで、「誰か」ありき。
…わかってる。
そんなものは今は手に入らない。
…わかってる。
だから今は、ただこの感情の高ぶりに寄り添いたい。きっとアウトプットが足りていないだけだから。
後ほんの少し先の未来に、この「わかってる」「わからない」に支配されない、穏やかな日が来るはずだから。
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