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外見と内面が一致していない不幸と、煽り運転のことなど


世間一般で、外見はある程度中身を反映していると思われがちですよね。
だらしない服装の人はだらしなく、きちっとした服装の人はきちっとして見える。

でも「そう見える」というだけで、本当に外見が内面を反映しているとは限らないっていうのは、同意してくださる方も多いんじゃないかと。

例えば女優さん達は、内面が男勝りだったり勝ち気だったり、割と激しめの性質を持っているとしても、持って生まれた外見の系統が清楚系だったり。

そうすると演じる役柄も清楚な感じのものが多くなり、演技力がある女優さんは難なく演じてしまう。

その結果世間のイメージはますます「○○さんは清楚な人なんだろうな」という思い込みで固定されてしまい、女優さん自身外見と内面との不一致に苦しむこともあるんだろうな、とぼんやり思ったりします。


こんな事をつらつら考えるきっかけになったのが、車のことなんです。
車をお持ちの皆さん、どの程度拘りを持ってその車を選びましたか?

我が家は某地方都市在住で、車がないと生活が立ち行かない土地柄なのですが、車について全くなんの拘りもありませんでした。
交通手段として動けばよいという感じ。

義理の兄は真逆で、車にすごく拘りがある人なのですが、その兄が我が家に安く車を譲ってくれましたので、それに有り難く乗っています。

ただ問題なのが、それがヤンチャな人達が好む車種で、色々改造もされている車だということ(義理の兄は車が好きな普通の人ですが、走り屋さんとかに憧れのあるタイプ)。

我が家は車は1台しかないので、これに乗って幼稚園の行事に行ったら、急に今まで全く接点のなかったヤンキー系のお母さんに睨まれるようになりました。

すれ違って挨拶してもスルーされること数回、それまでは挨拶はお互いしていたけれど特に接点もなかったのに、急に何なんだ?と困惑していたら、人伝てに「コザイごときがあんな車に乗るなんて生意気だ」と陰口を言われていたことが判明しました。

多分ヤンキー母さんからしたら、その車のイメージ(=外見)にわたし(=内面)が合っていないのが許せなかったのでしょう。許してもらわなきゃいけない理由もないけれども。 

車に関して言えば、どっちが外見でどっちが内面が難しいですね。
私の外見に見合った内面/似つかわしいキャラ設定(どんな車に乗るかを含む)から外れるな、という圧力ともいえるかも。どっちみちなんだか息苦しさを感じる。

私がこんな平凡で気弱そうな外見じゃなく、ものすごく規格外の外見なら、どんな車に乗っていようが生意気と言われたりしないのかな、と思ったりします。
でも規格外の外見ってなんだろう。コマンドー殺子とかかな。


そして声を大にして言いたいのが、世の中の人みんながみんな、車に拘りを持って選んでいる訳ではないということ。

拘りを持って車を選ぶ人は、内面を反映した車、もっと正確に言えば「こうありたい」という理想を反映した車を選ぶ傾向があるように感じています。

例えば高級車を選ぶ人はお金持ち/権力があるように見られたい、スポーツカーを選ぶ人は華やかさ/若さがあるように見られたいとか(絶対そうという訳ではなく、そんな傾向もあるかも、というレベルの話です)。

でも軽自動車を選んだからと言って、弱く見られたいわけじゃない。ヤンキー車に乗っているからといって、ヤンチャ系に憧れているとは限らない。
ただ手頃だったり、駐車場に停めやすかったりするだけで選んでいるかもしれないし、我が家のように譲ってもらっただけかも。なのに拘りを持って車を選ぶ人達は、そうは思ってくれない事も。

軽自動車を選ぶ人は、当然内面は弱く経済力もないはず、だから煽ってもよいはずとか。
ヤンキー車を選ぶなんてお前のキャラじゃないのに、変な憧れを持っていて生意気だとか。

車=あなた、ではなくただの乗り物。そんなふうに考えられたら平和なのになぁ。
でも服装で値踏みされるのと同じようなものだとしたら、こういうのって永遠になくならないんだろうな、と思ったりします。

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