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ナイスを贈れ

昔から、私は何かにドはまりするという事が無かった。

ハマる趣味を持ってしまえば時間もお金もかかるという理由が足止めするというのもあったけれど、基本物事に対してドライな捉え方をしている、というのもまた事実で、まあ何事もほどほどに楽しめていけたら、というのが根底にある。だから息子の誕生日に買ったスプラトゥーン2も最初はそれなりに遊べればいいよね、という感覚でいた。

以前スプラトゥーン2が私に教えてくれたこと、という記事を書いたけれど、あれからプレイ記録を倍にした現在、物凄くハマってしまっている。ゲームセンスの無い私でも、それなりの経験を積めばそれなりには上達するわけで、プレイ動画を自分で見返して反省点や改善点をチェックしたりしているうちに同じ過ちを繰り返さないようになり『以前より確実に成長した自分』を感じることが出来るようになった。技術的に少しでも前に進めると、人相手なので心理戦という観点からもゲームを見れるようになる。期待した結果が得られる時もあれば思うようにいかないこともあるのだけれど、その繰り返しで着々と前に進んでいる自分を感じることが出来る。そこで、あ、これって人生と同じだよね。なんて思ったりする。人生、と言ってしまうとちょっと大きく出てしまっているかもだけれど、色んな経験を繰り返して成長していく感覚は人生のペースより早い気がした。

しかしドはまりの理由はもっと大きいものがある。

スペシャル技にナイス玉というものがあり、チームのみんながナイスボタンを押すことで発動の力を早くためられるというのがあるのだが、このナイス、ナイス玉発動時でなくともいつでも使える。基本はゲーム中に仲間がナイス玉を発動する時に使うものでチームの仲間に『ナイスを送れ!』と表示されるのだが、他にゲーム開始時の挨拶代わりに、仲間が助けてくれたときのありがとう代わりに、そして戦況を好転させた時の賞賛代わりに、他諸々の使い方がある。

この中の、賞賛のナイスがたまらなく承認欲求を満たすのだ。

自分でも良いと思える動きが出来た時、間髪置かずナイスが飛んでくる時がある。返せるときはこちらもナイスで返す。一期一会かもしれない仲間同士、同じ目的に向かいながら飛んでくるナイスは紛れも無くナマモノであり何の忖度もないストレートでピュアなナイスだ。ツイッターでもらういいねも最高に嬉しいのだけれど、そこはタイムラグがあるのでじわじわ嬉しいことが多く、そことは種類の違う良さがある。

今自分がおこなった行動に、即時でナイスが飛んでくる。今やった自分の動きにナイスしてくれた人がいる、この嬉しいは一気に増量するし加速する。ナイスをもらえるようもっと上手になりたい。自分にも仲間にも楽しくて嬉しいプレイをしたい。そう感じるようになる。

人生においてそういう時があるだろうか。

うちの夫は割と褒めてくれる方だとは思うけれど、ナマモノのナイスとは種類の違う褒めだ。リアルに人と関わる時、何か良いなと感じる行動をしている知らない人に即時で『あなた今のいいよ!最高!』なんて言うことも言われることもそうそう無いしあったら少しこわいかもしれない。友人なら良いところを見かけたら出来るだけ見てたよ良かったよって伝えたいと思っているけれど、それが負担になったりいやな感じにならないように色々関係性を考えつつの褒め方になることもある。

なので、このゲームの中の生ナイスが直球で私の心に飛び込んでくるのだろうなあ。何よりもありがたい贈り物なのだ。

そんなわけで『ナイスを送れ!』は『ナイスを贈れ!』だなあと実感している。反応速度が鈍い私は『ナイスを遅れ!』になることもしばしばなのだけれど、そこはごめんほんとにごめん。

そんなこんなで、読んでくださったあなたにも『ナイス!』贈らせていただきたい。ありがとう。

少しずつでも。出来るところからたくさんナイスを飛ばせるようであろうと思う。

#スプラトゥーン

#ゲーム

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