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義母の死

義母が亡くなった。余命1か月の宣告から3週間後だった。体も心も丈夫で、がんではあったがこの夏までふつうに元気だった。生きざま、死にざまは人それぞれで、義母に関しては、「本当によくがんばったね!」と誰もがうなるような、よい最期だったと思う。

実父に続き、義母の臨終にもまた間に合わなかった。ほんとに、あっという間に亡くなってしまった。ありがとう、縁あって家族になって、私はおかあさんのことを心から誇りに思ってるよ、と伝えたかったけど、また私は間に合わなかった。

義母は女の苦労を全部背負ったような人だった。小さな体にたくさんの傷を抱えながら、子どものため、孫のため、家族のため、一日中働きづめだった。ほんまは専業主婦になりたかってん、と義母が言ったことがある。家に女は2人もいらん、と姑に言われ仕事を続けた。中卒から定年まで働き、その後もパートや内職を最近まで続けていた。料理が好きで台所にずっと立っていた。家の中も外もいつもきれいに片付いていた。誰よりも早く起きて最後に寝ていた。

夫の実家は、包丁と怒声が飛び交う修羅の家だった。あの家で、義母は逃げることをあきらめて踏ん張った。次の世代に禍根を残さないよう、命を張ったのだ。孫たちが学齢期になり手がかからなくなったところできっかりがんが見つかった。今生きている私たちは、義母ら先に逝った人たちの生死を土台にして立っている。

義母のことを思うと、このように自分も強く生きられるだろうか、と畏れのような尊敬の念がこみあげる。義母はよく生きたし、よくがんばった。もう、あなたを思い煩わせるものは何もない。どうぞ安らかに。