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自然と自分と

猫の話に続く。

拾い猫を家猫にして以来、ずっと強迫観念的に「私のせいで早死にさせてしまう」と思って恐れていた。

動物を飼うのは初めてではない。子どもの頃から生き物が大好きで、親に飼わせてほしいと頼んでは怒られるの繰り返しだったが、しまいに親も根負けしてウサギを飼うのを許してくれた。そのウサギに始まり、ミニウサギ、近所のおばちゃんがくれたセキセイインコのひな、シジュウカラ、ハムスター、縁日で爆釣されうちに引き取られた百匹近い金魚、ミドリガメ、ひよこ、そして最後が犬だった。どれも皆短命だった。当時は、畜生をわざわざ医者に診せるなんておめでたいね、いう風潮だったので、目の前で苦しむ動物たちに何も手を尽くせず死ぬのを見守るしかなかった。最後に飼った犬をうまく世話をしきれなかった私は、つくづく動物をかわいがるのは向いていないと悟った。

親について言うと、父は北海道生まれの東北育ち。実家は軍馬の牧場を営んでいた。元農家なので、子どもの頃から牛馬の世話には慣れている。猫が家の中に何匹も出入りし、雪の日は猫をあんかがわりに布団に入れて寝たという。生き物が身近にいるのを当たり前に育ち、もののない時代なので遊び相手といえば野や山であり、暇つぶしに蛇を見つけては振り回して投げつけるしか遊びようのないという、まあ自然児そのものだった。

母は、大阪のお嬢様育ち。戦中は祖父方の田舎、高見台高山系の秘境に兄弟でただ一人疎開させられていたので、山肌にへばりつくような貧村でひもじい思いをしたようだ。物心ついてからは都会で何不自由なくわがまま放題やってきたので、生き物嫌い、自然苦手の都会ガールになった。番長風を吹かせ、野良猫を川に蹴り落とし、這いあがってくるのをまた蹴り落とし、遊んだという。その残虐さに今聞いても吐き気を催す。でも、昭和初期の子どもは似たようなものだろうと思う。当時の日本人はどこかまだ野蛮だったのだ。人間以外の命はどう弄ぼうと構わない、と軽んじていた。

私が動物を飼いたいというと、母は絶対いや、無理、と拒絶しヒステリーを起こした。父は、「お母さんが反対するからだめだろう」という立場だった。猫を拾って連れてきては怒鳴られ元のとこに戻す。何度も繰り返すうちに母が折れて「ウサギなら飼ってもいい(鳴かないから)が、私はいっさい関わらないからあんたが全部面倒みなさい。家の中に入れては絶対だめ。」と言った。両親は生き物に関して完全ノータッチだった。小4だった私は、小さな命の全責任を負った。が、やっぱりしょせん子どもなので、たいした世話もできなかった。

母がなぜ折れたのか、たぶん父が母に「子どもの情操によいから許してやったらどうや」と話してくれたのだと思う。今になって想像すると。自然児の父は、田舎から東京に出てきて、関西に流れてきた。高度成長期で働き口は都会にあふれるほどあったろう。家族をもち、田舎を捨ててモーレツに働いた。どこかで、こんな暮らしは不自然だと感じていたのか、父は在職中、心のバランスを崩しかけていた。よく、「人間は自然の中でないと生きていけないのだ。こんな生活がいつまでも続くとは思えない。」「子どもは自然と一緒に育つべき。今の子たちが不憫でならん。」「都会の便利な生活しか知らない子どもは、生き物として半分欠けているようなもの。本当にしんどい時に出す底力のようなものは、自然の中で身につく。おまえたちもいずれどこかで自分のひ弱さに気付くだろう。まっとうな人間の暮らしを与えてやれなかったことを後悔している。」と話していた。成人した私はその父の繰り言を聞くたびに「半分欠けてるって失礼な!ちゃんと生きとるわ!」とキレていたが、どこかで自分の心身虚弱さを卑下していたので、「私の生きづらさは、不自然な都会の暮らしによるものなのか」と合点していたのも確かだ。

こう書いてみて私の物ごとの見方、価値観は父由来のものが大きいなと、気づく。死んでいった父やご先祖さんの考えや生きざまは、このようにして今生きている世代に刷り込まれている。

話は戻って、猫のことだが。私は長年、生き物を飼う資格がないと自戒し、厳しすぎる野良の猫の孤高の生き方を尊敬のまなざしで観察専門に愛好してきた。ペットとして人間の生活に取り込まれて生きる猫は、父の理論でいえば、不自然な生き方をさせられている不憫な猫。生まれてはカラスにつつかれ、庭にしっこして水をぶっかけられ、子を産んでは紙袋に詰めて海に捨てられ、悪意のある人間に毒を食べさせられ、容易に車に轢き殺され。野良の猫は、善も悪もない自然のルールに則し短い命を燃やすように生きて死ぬ。

九州に引っ越してきた時、猫がめちゃくちゃ多くてちょっとうれしかった。移り住んだ家の倉庫には雌猫が居ついており、何度もたくさん子猫を産んだ。私はその子育てをそっと見守った。転居後の生活を尋ねる母には、「いやー!猫なんて!気持ち悪い。追い出しなさい!」と言われるのがオチなので黙っていた。

雌猫は上手に子育てしていた。近所に餌をくれる家がいくつかあったのか、世渡りにも長けていた。そしてかなり美猫だった。いつか、ひどい乳腺炎になってひっくり返って鳴き叫んでいた。どうするか私はヒヤヒヤしながら見ていたが、たった3日ほどで完全復活した。しきりに自分で膿んだ乳をなめ、時々授乳しては子どもを蹴散らして、体を休めていた。そして、ねずみや小鳥を捕らえて生きたまま食べていた。生餌のエネルギーは凄まじいものがあるのだろう。私も乳腺炎になりやすく、3人目出産後は週に一度高熱を出すほどだった。上半身が板のように熱く硬直し、痛くて寒くてたまらない。インフルエンザのようなつらさもある。授乳中なので唯一、葛根湯だけ飲んで大根おろしをラップで湿布し、自分でゴリゴリの乳房を基底部からはずすようにほぐし、痛くて泣きながらたまった古い乳汁を絞り出す。そして子どもに乳を吸わせる。それしか治す方法がない。だから、乳腺炎で赤く腫れあがった乳頭を並べてあおむけになる雌猫を見て、「あー!わかる。つらいね、痛いよね。」と感情移入した。心配をよそに雌猫は、自分で膿みを舐めとり消毒し、生餌のパワーを得て自力で治癒した。すごい!お前、すごいね!と私は感動した。その雌猫は3年ほどの間に数えきれないほど子どもを産み、子猫たちは誰ひとりとして大人にならないまま死んでいった。最後に一匹、子離れせずにこの雌猫にいつまでもくっついていた子がいたが、二匹一緒に車に撥ねられて死んでいるのを見た。近所の人たちはその死骸を眺めていたが、そのうちの一人のおばあさんが「かわいがっていた猫だ。この子たちは私が埋めてやります。」と言ってくれた。

そんなこんなで、私は、現代の人間=いびつ・不自然・間違っている。猫をはじめ生きとし生きる無数の者たち=自然・あるべき姿・真理。と見なすようになっている。自然から切り離され、カラカラと皿に盛られるドライフードを食べてごろごろ室内で過ごしてかわいいかわいいともてはやされるうちの猫。大丈夫なのか、いつか決められた寿命も満たさず変死してしまうのではないか。そんな恐怖がどこかにあるのだ。

最近、私は猫を通じて、自然と対峙する自分の立ち位置について考えている。猫を代表に、自然はそこにあるだけで完全で絶対的に正しい。暴力的な災害を引き起こす地震にしろ、豪雨にしろ、津波にしろ。長い時間のなかではちゃんとプラマイゼロになる。降りすぎる雨も、いずれ長すぎる晴天できれいに清算される。自然にとっちゃ、失われる命、経済的損失などは人間的な事情であり、一切関知しない。人智を越えたものすごいとこでちゃんとバランスをとっている。地球も地を揺らし、溶岩を流れ出し、気温を上げたり下げたり、長い時間をかけてゆらぎながら新陳代謝する。自然は絶対的な正であり、間違えない。むしろ、自然にとって害悪なのは、ちょこまかといらんことかましてくる人間の方だろう。

人間は手元に自然の完全体である生き物を置いて愛でることで、自分のいびつさを正そうとしているのかも。愛玩動物や家畜など、種族以外の生き物を生活の中に取り込みたくなる欲望って、本能的に自然の一部である己のバランスを保とうとする動きによるもののような気がする。

そして、猫を通して今度は自分とは何かを考える。私は、自分のことをいたらぬ存在、何かとやらかしては学習せず、人をイラつかせる名人だと思っている。これは子どもの頃からの長年の蓄積で、私が一番私のことを信用していない。

たとえば、私たち夫婦はとっくに破綻している。私は離婚ならずともせめて別々に自立して生活したいと長年画策していたが、決行に至っていない。私は大きな声で怒鳴る男の人が苦手で、夫が不機嫌になると怖くて思考停止する。「子どももみんな独立したし、私も自分の食い扶持くらいは賄えるから別に暮らそうか。」と言ってみたらどうだろう。不機嫌になり、あれこれ詮索され、しまいにものに当たり大声で怒りだすだろう。最悪、暴力も振るわれるだろう。と想像する。だめだ、言ったらだめだ。と蓋をする。たとえば、新しい仕事を始めるとする。なぜか、職場の人がそっけなくて、あいさつしても無視される。誰も声をかけてくれない。ぽつんと昼ごはんを食べ、一言もしゃべらず帰ってくる。今頃あの人たちは私のうわさをしてるだろう。なん、あの人。50歳も過ぎて使えんし。きもかし。歳離れすぎて話題のなかっさ。おばさんなのは仕方ないけどせめてもうちょっと美人ならね。なんて言ってるんだろう。むかつくなあ。

こんな具合に、24時間不満や不安や心配事を見つけ出し、時には妄想で不安を作り上げ、頭の中をいっぱいにする。そして「むかつく!」「情けない!」「悲しい!」「怖い!」という感情で自分を満たす。不安に胸がしめつけられ動悸がして眠れなくなる。どれも、現実に起こっていないこと。すべて自分の頭の中で盛大に繰り広げる空想なのに。自分は、いいことよりも、悪いことが起きそうな予感的不安の感情に傾きがち。ずっとザワザワしていたいのだ。

なんでこうも、マイナスの方にふりきってしまうのか。そもそもを考えてみる。自分が蔑ろにされるのががまんならない。どれも、自分が期待しているような反応を周りの人がしてくれない時、「あてがはずれた!恥かかされた!」と短絡的に傷ついて腹を立てていることがわかる。相手にとってはたまったものではない。思ったような反応をしなかっただけで逆ギレされ終生恨まれるのだから。この、思ったような好反応を示してくれないがっかり感に予防線を張るために、あらかじめ予想される悪いことをシミュレーションしつくすのが習いとなっている。そんな都合の悪い脳トレーニングをやってると、いつも不安と心配と不満で頭の中をいっぱいにしておかないと逆に不安になる。こんな思考傾向がよろしくないことは百も承知。でも、考え方の癖って厄介なものでなかなか矯正できない。だから、私は私を信用していない。人間は間違える。だから私は間違ったまま。

そうなんだろうか。ほんとに。猫を見ながら問う。そもそも、人間も自然の一部なんだから、間違えるとはいえ、生まれた時は完全な存在だったはず。ああ、自分は正しくない、歪んでいる、偏っている、足りない、そう思うのは人間の「レクレーション」みたいなもので、人間は実際、自然のように存在しているだけで絶対的な大正解なのではないか。遠く離れた宇宙の星から見れば、地球も人間も、同じ場にあるだけの「自然」なんじゃないか。そしたら、私は自分のことをダメ出しはするけど、大枠で見ればなんも間違ってないし、生きてるだけで大正解なんじゃないの。それに、都合よく時間は先へ先へと進む。終わったことは取返しつかないけど、先のことはいくらでも行動も思考も変えられる。これは人間限定の特典なんじゃないか。取返しはつかなくてもやり直しはできる。いつまでもだめだだめだ、と思ってないで、これからなるべく間違えないようにすれば十分だろう。

では私がこの先、「思ったような好反応が返ってこなかった時に逆ギレしないようにする」にはどうすればいいか、考えればいい。なんでこの「期待裏切られた感」が生まれたのか、元の原因を探さねば。人生を振り返る。やっぱり親の対応だったかなと気づく。幼いながら、よかれと気を使った行動や発言に対し、めちゃくちゃ怒られたり無視されたりしたことが思い出される。たとえば、落ち込んでイライラしている父の機嫌をとろうとしたら「話しかけるな」と怒られたことや、年中機嫌が悪く、八つ当たりをしてくる母に対し、どうすれば笑ってくれるのか、どうすれば喜んでくれるのか、試行錯誤するけど全部ハズレだったこと、しまいに母に自分の欲求を伝えることもあきらめるようになったこと。悪いことしか思い浮かばない、覚えていないだけで良いこともたくさんあったとは思うが、今思い出すのはがっかりして悲しかったことだけ。そして、母の言動にビクビク反応するようになった。「どういうことや、あんた。」「この人嫌いや。顔も見たくない。」「それはええわ。」母が批判するか称賛するか、私の言葉に対する母の反応の答え合わせが私の思考の基準になった。生きていくうえで、この選択をはたして母がよしとするかアウトとするか、それが唯一の目安。そのうち、実際に口に出さなくても「母ならこう思うだろう」と先読みするようになる。母を怒らせないように失望させないように。自分の価値観はおいといて、母の審判に沿って生きておけば間違いなかろう、と無意識に思っていた。母の感情と思考に依存してきたのだ。今は、夫の感情と思考に依存している。この人を怒らせないように。あたらずさわらず。気配を消してなるべく関わらないようにすれば大丈夫。私の中でわきおこる言葉や感覚、意思を少しでも発して否定されたら、もう耐えられないから。それならいっそ何も言わない方がいい。破滅的で壮絶な夫婦喧嘩を何年も繰り広げた後、そう思うことにしたのだ。自分そのものを自分で守れていない。だから私はいつも人の反応に揺さぶられ、時に自分の思考を放棄する。

そこかー、と問題のありかがわかった。いわゆる、今はやりの他人軸ってやつなんじゃないか、これって。知らんけど。

猫を見ながら思いにふけっていると、えらい鉱脈にぶち当たった気がした。