儲けるよりも、いかに使うか

アメリカの宗教界は、当たり前のこととして、投資をするらしい。投資をするということは、自分たちの価値観の表明。こんな企業を応援している、ということらしい。投資によって生まれた利益を活用しながら、教会などでは社会的な事業を行なっているそうだ。

確かに、我々の消費や投資は、そのまま、何かしらの企業の利益に貢献している。それならば、未来を見据え、自分のありたい未来につながる企業に消費したり、投資することが望ましいのだろう。

日本人の感覚として、投資はギャンブルで、金儲けが強い。しかし、投資は金儲けだけではなく、自分たちの価値観の表面でもある。

そもそも、別に金儲けが悪いわけじゃない。お金が入ってくるということは、社会的なニーズがあるという一つの証左ともいえる。それをいかに使うか、の方が問題。

うろ覚えだが、お釈迦さんも、信者が経済活動を行うことを否定していなかったらしい。出家者は、世俗のことに関わることを禁止されていたから、もちろん無理だか、在家信者はむしろ推奨されていたらしい。ただ、その経済活動によって生み出された資本は、その出家者団体の維持につなげることが求められていた。ここで言えることは、結局、その資本をいかに活用するか。

日本のお寺でも、社会的に意義のある投資を積極的におこなっていくことが必要な気がする。


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