自分へのごほうび

世の中には2種類の人間がいます。

それは、自分にごほうびを与える人間と、与えない人間です。

私は前者です。

大きな責任を負う仕事をやり遂げた時。

大人数の前で発表をした時。

厳しい労働時間を耐え抜いた時。

そんな時に、自分にごほうびを与えます。

多くの人がそうだと思いますが、ごほうびには自分の中の鉄板のごほうびがあります。

私の場合、それは一人焼肉です。

焼肉というのは、みんなでワイワイ言いながら焼いて食べるのが一般的です。

そこで必ず現れるのが鍋奉行ならぬ肉奉行。

肉が焦げそうになったら、欲しそうな人の取り皿に勝手に放り込んでいく、あの役割の人です。

私はアレをされるのがあまり好きじゃないんです。

まず、大前提として、肉奉行はいい人です。

お話に夢中になって肉を焦がしてしまうよりは、肉奉行が焦げる前に肉を救出したほうがいいに決まってます。

そう考えると肉奉行はとても社会貢献度の高い役割にいます。

でも、焼肉は人によって、火の通り具合にこだわりがあると思うんです。

ちょっとでも赤いところがあると嫌という人もいれば、多少焦げてもいいという人もいます。

そのような、人それぞれの微妙なこだわりを度外視している人。

それが肉奉行なんです。

私が思うに、焼肉というのは、自分で好きなように、好きなだけ焼いて、食べる。

これを基本ルールとしてほしいんです。

でもなかなか浸透しないんです。

それは焼くためのトングが一つしかなかったりするのが大きな一因です。

だから私は思いました。

食べる用のお箸とは別に、一人一膳、焼く用の割りばしを用意するべきです。

そうすると、みんなが積極的に焼くようになっていくと思うんです。

自分で焼くのが嫌いな人も、自分で好きなように、好きなだけ焼いて、食べる。

という基本ルールの前では、積極性を見せないと、肉を喰らえない。

そのような構造にしてほしいと私は願っています。

でも現実はそうはなっていないです。

私は、焼肉という非常に贅沢な行為の中に、ストレスを持ち込むことがとてももったいないことだと思っています。

だから、私のごほうびは、一人焼肉。

自由に焼く楽しさ。

もうちょっと焼いたほうがいいかな?といったクリエイティビティの追求。

初めて一人焼肉をした時、私は、ああ、これだと思いました。

本当の贅沢がここにあると。

そう強く思いました。

これから、自分にごほうびが与えられるような仕事をたくさん取っていきたいものです。


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