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従業員観

一般的に働く従業員としての観点から文章を書いてみようと思う。

まず一従業員として言えることは、
会社の為に働く、という感覚はない。
実際には0ではないので薄いという感覚。
こういった会社の為にという感覚、考えがある人もいるだろうけど、自分は少ない。
世の中の多くの人は、こういった観点は薄いのではないかと思う。
なので、会社の理念に共感して働く、理念に沿って働くというのは、難しい。
会社の為に、なにをすべきか?ということを考えるよりも、
日々、追われる業務をこなすので精一杯。
働き始めた当初に比べると、業務は日に日に増えていくものだと思う。
となってくると、その日々の業務をどれだけ抱えないか、どれだけ引き受けないか、という考え方になってくる。
そうなると、自主的に新しいことを始めよう、という気持ちや、
目の前にある課題をどうしたら無くせるか、なんてことは考えづらい。
どれだけ波風を立てず日々を過ごせるか、日々をどれだけ穏やかに過ごせるか、そんな風に考えるようになっていく。

また、中間管理職なんていうのは、罰ゲーム、無理ゲーと表現されるのをよく見かける。
まさにその通りだと思っていて、苦しい板挟みに合うのみだと思う。
管理される側は言いたいことを言う。常日頃の不満を口にする。
管理する側の会社は、それには応えず、どうしたらもっと働かせられるかを考える。どうやったらもっと多くの量を、クオリティ高く、遂行できるかを考える。
そして、それを下に求める。
部下やアルバイトスタッフの御用聞きであり、上司、会社の御用聞きでもある。
どちらの意見も取り入れた折衷案なんて毎度毎度考えていられない。
となってくると、部下やアルバイトをなだめ、上司、会社に言い訳をする。
そんな仕事が当然楽しいわけはなく、苦しくなって辞めていく。
本当に罰ゲームであり、無理ゲーである。

そんな中間管理職になりたくないがために、出世はしない。
となると、現状維持、仕事をやり過ぎない、という考えの人が出てきてもおかしくない。
会社は、個人の成長を、というが、従業員側からすると成長する気なんてサラサランない。っていう人が多くいると思う。

一従業員が考えることは、いかに日々を無難に安泰に過ごせるか、多少の苦しみには黙って耐えて、言われたことはある程度こなして帰る。
そんな日々の繰り返し。
従業員が求めることは穏やかな日々。欲を言えば、苦しくはないけど、楽しい状況。
それなりにやることはやって、職場の人とおしゃべりをして帰る。
家に帰れば、各々の趣味、ゲームをしたり、youtubeを観たり、SNSのチェックをしたり、お酒を飲んだりで一日を終える。
そんな穏やかな日々を望んでいる人が多いのでは、と思う。
もちろんそんな日々を心から願っているわけではなく、裕福な暮らしをしたいと心では思っている。だが、それができない現実は受け入れて、日々を無難に過ごしていく。
なので、会社が従業員に求めることと、従業員が会社に求めることは一致しない。
会社は従業員を働かせたいし、成長させてさらに働いてほしいと思う。
一方、従業員は働きたくないし、成長したくもない。程よく働きお金をもらう。

従業員がいかに働くかは、会社がどれだけ従業員をコロコロ転がせるかだと思う。
従業員が会社の為にという気持ちがないことを理解した上で、従業員に寄り添ったポーズを上手くとり、気持ちを乗せる。
一会社が一従業員の意見を聞いてくれた、そんな感覚にさせるのが大事なのだと思う。
してもらったら多少は返さないと、となる人はそれなりにいると思う。
今の世の中、してもらって当たり前、という考え方の人も多くいるように思う。
自分はどちらかと言えば、してもらった以上ある程度は返さなくては、と思うタイプ。

なので、一つ言えるのは、自分という一従業員はちょろいということ。
上手く乗せられれば、それなりに頑張らないと、という気持ちになるし、
世の中にもそういう人は多くいると思う。
なので、会社は従業員を上手くコロコロすれば、それなりの人は、それなりに働いてくれるし、それなりに満足もしてくれると思う。

そんな一従業員としての感覚、考えを書いてみたくなった。

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