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雨を告げる漂流団地を見て小学生の頃を思い出してみる

雨を告げる漂流団地を見ました

Netflixは、いつぞやサブスク断捨離の際に封印してしばらく離れていたのですが、この作品がどうしても見たくて復活しました

この作品を見たきっかけは、僕の大好きなずっと真夜中でいいのに。がテーマ曲を歌っていたことと、見よう見ようと思っていたペンギンハイウェイの監督の新作だったことがきっかけです

僕は転勤族だったので、
今までこの作品のような原風景や家族と友達のベン図が重なるところにプロットされるような友人や淡い思い出は体験をしてこなかったし、
ある種憧れと妬みのちょうど間みたいな感情を持っているのですけど、
それでも小学生の時に住んでた郡山のことを少し思い出しました

郡山は、人口が割と福島の中で多いですし、
東北新幹線の停車駅でもあるので聞いたことがある人もそれなりにいる街だと思います

一方で、僕が住んでいた所や小学校の付近というのは、少し駅前からは離れていてそれこそ周りには田んぼばっかりだったし、半田舎みたいな風景でした

帰りに田んぼでおたまじゃくしを見たり小学生の男の子らしい何か木の棒の類を拾って勇者の真似事をして草むらをかきわけてみたりしたそんなことが思い出されてきました

僕はどちらかと言えば優等生の部類だったので、何かやんちゃをしたと言う覚えもないんですけど、それでもその帰り道だけは、大人や友達の目から隠れて、悪ガキに変身できた気がしていたのです

僕の家は小学校から近かったので僕はスクールバスを1駅しか使っていなくて、1番最初にほぼ1人で降りるんですよね

必然1人で帰ることになるんですけど、おそらくみんなはまだスクールバスの中で楽しく談笑している、そんな光景を勝手に思い浮かべて、疎ましく思いながら、全校生の中で1番早く家に着いてしまう

だから、何とかその短い時間を延命して冒険をしているような空気感を作り出すことに命をかけていたような気がします

帰り道にはバス停を降りてすぐのところにデニーズとおもちゃ屋さんがあって、でも変にそういうところに寄り道をせずさっさと歩き出し、そろばん教室みたいな小さな塾の隣を横切って広い道路から1本奥に入った田んぼ道を我が者顔で歩いていく

田んぼには、水が張っている時期はオタマジャクシやカエルがいて、秋になるとバッタが飛んでいる

今ではあまり好きでは無い虫もその頃は平気で触れていました

おたまじゃくしを掬おうとして足を踏み外して、田んぼの中に入ってしまい、靴が汚れた理由を親にしどろもどろ言い訳していたっけ…

多分ものの数分位の道のりを30分ぐらいかけて歩いて帰っていたと思います

おそらくそれが小学生なりの僕の思い出の作り方だったのです

公立の学校ではなかったから、家に帰ってランドセルを放り出して、近所の友達と近くの公園で野球をしたりサッカーをしたりといったテンプレ的小学校生活ではなかったというのは、僕にとって昔懐かしい映画に描かれているような郷愁を煽る原風景描写と、自分自身の想い出が一致しない1つの理由なのかもしれません

だからこそ自分1人でとぼとぼと帰っていた道の記憶を重ねて、なんとか郷愁の念を生み出そうと努力しているのかもしれません

今更過去を変えられないし、作品に自己投影できない自分の人生が不幸だとも思わないけど、多少なりとも郷愁の念に浸ることはできたし、そう思う人も多いんではないかなぁと感じたりもします

みんな、この作品を見てどういう感想を持つんだろう

僕にも多分当時好きな女の子はいたと思うし、まぁ「いたと思う」とごまかしてるところが、既に恥ずかしさの表れでもあると思うんだけど、そういう恥ずかしさみたいなものも含めて全部粗雑にガムテープでぐるぐる巻きにした得体のしれない埃だらけの塊を、ふと気がついて押し入れの奥底からこっそり独りきりで引っ張り出したい衝動に駆られるのが人間というものなのかなぁと思ったりします

日々あくせくと働いていると、ふと過去に戻りたくなったり、戻らないにしても過去の思い出に浸ってみたくなるようなそういう時間が養分として必要で、
どうしてそうなるかはわからないけど、多分今を確かめるためにそういう時間が必要になるのかな

「今がめちゃくちゃ楽しい、希望しかない!」みたいなタイプの人に憧れを抱きつつ、
一方で少し美化された過去を抱きしめたくなる気持ちを抑えられないと、こういう作品を観たい衝動が抑えきれなくて、サブスクの月額課金を復活させるフリックを自制心で止められなくなってしまうのかもしれない

そんなNetflixにまんまもしてやられた作品でした

おわり

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