かあさんのいえ
以下の記述は、当病院で入院治療を続けている男が看護師にしきりに話す夢の内容である。
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アラームが耳を突き抜ける。
ジリリでもなくピロピロでもなく何とも形容しがたい不思議な電子音なのがうちの目覚ましの特徴だ。非常に脳に響く。
鼓膜から伝わる振動を遮断しようとしたとき、
『起きなさい龍之介』
「母さん、もう5分寝かせてよ」
『いけません。準備、朝食の時間が不足します』
「朝ごはんくらい急いで食べるからいいよ」
依然鳴り響くアラームから逃げるように布団にもぐりこんだ。
アラームは僕では止めることができないのだ。
まどろんできたその時、部屋のドアが開く音が聞こえた。
どうせアレックスだろう。
彼は一直線でこちらに向かってきて僕の布団を横方向に引っぺがす。
身体がぐるっとねじれた。
「わかった、今起きるから」
アレックスは僕と視線が平行になるように上半身を横に曲げ、じっと見つめて言った。
『いたかった?』
「ちょっとね」
ぼんやりとした脳に指令を出してゆっくり起き上がる。
「もっとこう、ぺらっと優しくめくってくれないかな。首を痛めそうだよ」
『修正しておきます』
母さんが割って入った。
「お願い」
僕はベッドから降り、階下の洗面所で顔を洗い、食卓に着いた。
食卓といっても一人用のテーブルと椅子があるだけで、8畳あるダイニングにはとても似合わない質素なものである。
朝、食卓に着いたとき母さんは僕の体温を測る。
『体温は36.7°いつもより0.4高いですね』
「誤差だよ誤差」
『体調に変化は』
「ない」
『白米かパンかどちらにし』
「パンでいいや」
『・・・3日連続でパンになりますがよろしいですか』
「いいよ別に」
母さんはその日の僕の体調や気分に合わせて朝食をデザインしてくれる。
キッチンでカチャカチャと支度をする音が聞こえる。
今は内心、しょっぱいものが食べたいと思っているのだが
目の前にトースターで表面を焼いたバターロールが二つ、クルトンと粉チーズが程よくのったシーザーサラダ、
食欲をそそるコンソメの香りがするオニオンスープ、少し冷ませば飲める温度のコーヒーが並べられた。
バターと砂糖、ミルクも忘れずそろえてあり、カトラリーも形式ばった置き方で用意されている。
『食事時間の目安は20分です。よく噛んでお召し上がりください』
「ちょっと短いなぁ」
『起床から食卓に着くまで5分遅れておりますので食事時間の短縮で対応していただきます』
「はいはい」
そそくさと朝食を平らげた後、歯を磨いて自室に戻り、制服のブレザーに腕を通す。
アレックスは朝の役目を終えて、部屋の隅にあるポートで充電中のためスリープしている。
『カバンの重量が130g不足しています。何か入れ忘れていませんか?』
母が声をかけてきた。
「え、何かわすれてるかな」
カバンの中身をあさる。
「あぁ、物理の参考書入れ忘れてた」
『しっかりしてください、あなたはもうすぐ兄になるのですからね』
「ごめんごめん」
登校準備が整ったところで、隣の妹の部屋に入る。
中は小さく抑えられた機械音が響き、僕の妹になるであろう者が入れられた筒形の水槽が部屋の真ん中に鎮座している。
妹のへそあたりに管がついており、時折ボコっと胎動し水泡が上がる。
「あとどのくらいで出てくるの?」
『今のまま順調に成育が進めばあと3か月ほどでしょうか』
「もう少し早く出られないの?」
『人間の母体では10ヵ月ほどで生を受けますが、様々なリスクが伴いますので、我々『母』の間では60ヵ月程度と定められております』
「この前学校で習ったよ。昔はヒトからヒトが出てきてたんだね」
『"出てきてたんだね"では表現が不適切です。"産まれていたんだね"に修正しましょうね」
「はーい」
「我々についても学びましたか?」
「うん。いろんな大人たちが頑張って創ったんだよね、大人ってすごいなぁ」
「貴方もいずれなれますよ」
「今は全然そんな気がしないや。見たこともないし」
「ここは養育保護区ですからね」
「大人になれば隣の区に行けるんでしょ?」
「そうです」
「じゃあそのうち会えるね。いってきます」
「いってらっしゃい」
僕は母家から飛び出した。
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当患者は『僕の幼少期の記憶です』と担当医に執拗に主張し、
受け流すような対応をとった担当医に激昂し掴みかかったため、周囲は鎮静剤を投与し事態を収束させた。
【患者の入院以前の経歴について】
患者は身元不明者として保護された経歴があり、
保護の後、物理学に非凡な才があることが買われてある大学の研究機関に就職した。
しかし、入院3ヶ月前に『危険思想が強く、就業環境に悪影響及ぼす可能性が高い』として免職されている。
(備考)
病院から出ることのできない患者の依頼により代理で患者宅に私物を取りに向かった研修医によると、
『元勤務先の大学研究機関の者』と名乗る人物により既に家財整理が行われており、一切の住居の侵入を拒まれたとのこと。
その旨を患者に伝えた頃から錯乱と妄想症状が顕著に表れたとの報告があるが、
因果関係は不明である。
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