コーチェラのLESSERAFIMの衝撃
K-POPとかミュージカルとか日本のアイドルとか……色んなショービジネスにハマってきた私ですが、最近、ショービジネスを摂取することでわたしたちが得ている喜びには2種類のタイプがあるのではないのかな……ということを考えるようになりました。
ここでは、1つ目の喜びを蕩尽(とうじん)。2つ目の喜びのタイプをセンスオブワンダーと呼んでみたいと思います。
この日のために生きてきたんだという確信
1つ目の喜びとして挙げた蕩尽。
私たち人間は常に将来のことを考えながら生きています。仕事を頑張ったり、勉強をしたり、貯金をしたり、日々の家事も歯磨きも洗顔もです。
このように、私たちが日常と呼ぶほとんど全てのことが将来のためにやらなくてはいけない行動の連続と言えるでしょう。わたしたちは、日常のなかで日々「未来への心配り」を貯金していると言ってもいいかもしれません。
蕩尽とは言わばこの「未来への心配り」を思いっきり散財してしまうかのような喜びをさします。
コンサート等で熱狂の時間を過ごした後、ぐったり疲れ切ってしまったけど同時にすごく満たされたような感覚を覚えることがあると思います。あの自分の持つ全てを使い果たしてしまったかのような満足感。この日、この瞬間のために私は今まで生きてきたんだという確信。あれこそが蕩尽の喜びだと考えています。
関係ないですが、椎名林檎の歌詞ってめっちゃ蕩尽って感じしますよね……。
世界の神秘と不思議さに目をみはる
子どもの頃誰もが持っていた、何もかもが新鮮で不思議で何もかもが自分をワクワクさせてくれるあの感覚。蝶々を見つけたときに、このあと何が起きるのかなってワクワクしちゃって必死で追いかけてしまうあの気持ち。自然界の1つ1つの色に何でこんな綺麗な色をしているんだろうと感動するあの感覚。
それをセンス・オブ・ワンダーと呼ぶとするのならば、それらの感覚が完全に鈍ってしまった大人に対して、わかりやすく美しいものを周到に作り上げてセンスオブワンダーの感覚を手軽に味わせるのもショービジネスの役割と言えると思います。ある種のインスタントセンスオブワンダーです。
ありえないくらいに綺麗に揃ったダンス。クリエイティビティに溢れた新鮮で美しいミュージックビデオ。訓練された肉体美。人間離れしたパフォーマンス。文化史に連綿と流れる系譜の提示。
それらを見たとき感じたときに神秘的なものや不思議さを感じて目を見張るあの感覚。目が離せなくなってくぎ付けになってしまうあの感覚。世界の美しさに対して畏敬の念を感じるあの気持ち。それこそがセンスオブワンダー的な喜びなのだと思います。
KPOPにおける蕩尽
お気づきの通りK-POP文化はどちらかというと、センスオブワンダー的な喜びでいっぱいに満たされています。MVから綺麗に揃ったダンス。考え抜かれた表情管理に鍛え抜かれた肉体美。人間離れしたビジュアルやスタイルも人々にセンスオブワンダー的な喜びをもたらしています。
一方でK-POPのコンサートは、蕩尽のニュアンスからは結構遠いものであると言わざるをえないところがあります。
たとえば、コンサート中にも関わらずカメラを意識するようなパフォーマンスをしなくてはいけなかったり、ある方向からのカメラ越しでしか伝わらないような細部に気が配られた緻密なパフォーマンスをしなくてはいけなかったり。
というのも、K-POPアイドルにはある種の意識の高さを強いられているところがあります。それがゆえに、彼女たちはコンサートにおける一瞬一瞬ですら「未来への心配り」を強いられているように思えたりするのです。
コーチェラのLE SSERAFIMの衝撃
私がコーチェラのLE SSERAFIMを見たとき感じた衝撃とは、まさしくそれがK-POP的な優等生さから距離をとった蕩尽の経験そのものであったという驚きでした。
彼女たちはこれまで努力を体現する存在として見られていました。そんな彼女たちが、ついにコーチェラのその瞬間その瞬間に、日々蓄えてきた「未来への心配り」を思いっきり使い果たそうとしているかのように私には見えたのです。
人によっては未熟に見えるあのLE SSERAFIMのパフォーマンスが少ない人間を感動させ、最高だと言わせたのには訳があり、それこそあの場にいた者だけが確かに感じたであろう蕩尽の体験があったのではないかと思います。
「胸を張って、楽しんで、心からこのステージへ全力を注いだ。それだけで、まさに、人生であり、ルセラフィムだなと感じる1日でした」
宮脇咲良がコーチェラ出場後に投稿したWeverseの文面を読んで、その思いをさらに強くする私なのでした……。
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