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私にとっての「あわいの世界」

TAGIRI LIFEという本の制作に
編集として関わった。

その本は
人生を流れるように生きる人々の
暮らしの中の葛藤や心の変化を
書き綴った本。

その生々しさは、
「あぁ、この人、生きているんだな」っていうことを
文字で感じさせてくれる。
本当に生きている人の言葉は、胸にスッと入ってくるし
必要な時に、必要な人の言葉に出会わさせてくれるものだ。

Vol.3となる今号のテーマは「あわいの世界」

どうやらこの世の中には
あっちの世界とこっちの世界があるらしい。
「あわいの世界」とは
あっちの世界とこっちの世界の間。
その2つが混じり合った世界のことだ。
その世界で生きることは、綱渡りをするような細いラインの上を生きることであり、最上の安定感と心地よさの中を生きることでもある。
そんな不思議な世界らしい。

「あっちの世界」と「こっちの世界」

私もそのことは感覚的に分かっているのだが、
言葉でそれを説明しろと言われるととても難しい。
ただ、その2つの世界はとてもよく見えている。
じゃあ、わたしにとっての「あわいの世界」は、どこだろう。

あっちの世界とこっちの世界


「あっちの世界」は、いわゆる普通の生活、人生、暮らし。
わたしが今まで何の疑いもなく歩んできた生活そのものだ。
何かを求め、目標を掲げ、それに向けて働き、勉強し、対価としてお金や資格や点数をもらい、分かりやすく「人」が順位付けされる世界。
そこはもしかすると、今は少数派の意見になりつつある「何かを持っていれば幸せ」という感覚が、まだ残っている世界なのかも知れない。

対して「こっちの世界」は
上にあげたような感覚がなくて、
曖昧で、ぼんやりしていて、何かを求めたり、執着したりする感覚がない。愛とか美しさとか、そういう心地良さの中を、
流れままに生きていくような感覚だ。
でもそこに、確固たる芯はある。
多分それは、絶対的に信頼を置ける「自分」という存在なのだと思う。

わたしは社会人になってからの数年間、
ここでいう「あっちの世界」を現実として、心に「こっちの世界」を持ちながら、時に海や山や旅で「こっちの世界」にどっぷり浸り、「あっちの世界」に戻っていくような生活をしていた。

でもきちんと分かっていた。
わたしの中にも「こっちの世界」があることを。

それは心をとても穏やかにしたし、目の前にある自分にとって少しきつい現実が、わたしの全てではないということを客観的に感じることができた。

ただ、
「あっちの世界」の引力はすごい。
すごくすごく引っ張られるから、毎日を慎重に生きなければいけなかった。
その時に「丁寧に暮らすこと」が必要だったのだ。

自分を「こっちの世界」に引き戻してくれる、
一番簡単で、一番強力な方法。
それがわたしにとっては「暮らし」だった。

働きづめで体力的にはだいぶしんどかったあの時、
丁寧に靴を並べること、
ベットを整えてから家を出ること、
どこの誰が作った食材を食べているかを知ること、
丁寧に調理をすること、
時に自然の中で目一杯おてんばを発揮すること。
それらは全てわたしを「こっちの世界」に引き戻す儀式のようなものだった。

そして今は

暮らしの中で「こっちの世界」が大きな割合を占めている。
わたしはずっと、こちらの世界で生きてみたいなというビジョンを
心のどこかに置いていたのだと思う。

そしてわたしにとっての「あわいの世界」はできているか。
それはまだよくわからない。
難しいラインだから。

でも、「あっちの世界」を否定することもなく、
「こっちの世界」の心地よさに心から感謝して、生きさせてもらっている。
どっちの世界を否定することなく、受け入れて。
真ん中の微妙なラインを、流れるように生きる。

生きてみる。

わたしの「あわいの世界」はどんな景色だろうか。
今見ているのものそれに近い気はするけれど。
これから「これがわたしのあわいの世界です」って胸を張って言えるようになるその日まで。やっぱり丁寧な暮らしを積み重ねて行こう。

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