ヘレディタリーとミッドサマーを1日で観た

アリ・アスター監督の『ヘレディタリー/継承』を観た後、この監督の他の作品は……と探してみると『ミッドサマー』だった。

『ミッドサマー』といえば、『にじいろカルテ』をミッドサマーっぽくて怖いと言っている人たちがいて、なんだろうと思っていた映画だったので、その日はホラー映画を2本観ることにした。

翌日まで不穏な感じは続いて、落ち着かなかった。先週は「にじ」を清々しい気持ちで歌っていたのに。
バランスをとりたいということなんだろうか。そういえば、子が小さい頃もホラーをやたらと観ていた。日常が平穏過ぎると刺激が欲しくなるのかもしれない。

嫌な感じは残っていたけど、どちらも面白い映画だった。怖いし、含蓄があって、ヘンテコで、引き込まれる。

『ヘレディタリー』は祖母が信じたものが孫に継承されるという話で、母は抵抗しているけど上手くいかず、その不安定さから息子や娘ともうまくいかない。
母は模型作家で、自分に起きた出来事を模型で細かく再現している。それは、自分に何が起きたのか知るために必要な創作のようだ。
家と模型の家を重ねるように映し出すので、家が模型のように思えてくる。

知らないうちに継承されたものが、家族を苦しめる。

この映画の場合、それは祖母の悪魔崇拝で、それは残酷で恐ろしいが、そんなことあるかい!というファンタジー味があって、反転して笑ってしまいなんじゃそらというものだった。もう怖いというか何なの〜という感じ。

だから、この映画を観ると、小さいがじわじわと苦しい現実の嫌な感じの継承をこんなこたーもうどうでもいいわと無に帰してしまえるような力が湧いてくる。
ヘヴィメタ聞いて元気出るみたいに。

母役のトニ・コレットの、自分で自分を責めていることから息子に責められるように感じていて、そのことに怒りをもっているのを隠しているせいで不穏な空気を漂わせ、イライラした挙句にぶちまけるという演技が、すごい。
父は面倒が起きないように、もう刺激するな、この話は終わろうなどと言っている。
この感じ、よく分かる。
この心の動き。ファミリーアフェア。
アリ・アスター監督も自分に起きた出来事を再現しているんだなと思う。
理解するために。
壊すために。
吹き飛ばすために。
笑うために。

『ミッドサマー』の宗教は悪魔崇拝よりもいいものに見える。
スウェーデンの村の一日中明るい夏至祭の話で、緑と花がいっぱいで、楽しげに見えるからというのもある。
(楽しそうでみんなが集まってる感じが『にじいろカルテ』に似ている)

その宗教を信じて受け入れていれば、幸せに暮らせそう。
みんなで儀式的に食事をしたり、ポールの周りで踊ったり、感情を共有して泣き叫んだり、周りで合唱?してくれる性の儀式もいいもののように思える。
自分に起きていることが、全体に伝わり、全体の一部であることに安心するような心地良さがある。

この村に来る前、家族の死を悲しむ主人公ダニーは精神が不安定になり、そのことで恋人のクリスチャンから疎まれているのを感じていた。
ダニーとクリスチャンは心を通わせることが出来なかったが、村で娘たちの中にいることでダニーは感情を解放することが出来た。
村では、儀式を通して、死、性、悲しみ、怒り、苦しみを共有する。
それは、小さな共同体に必要なつながりを保つための仕組みだろう。人々の中で溜まっている思いも解放できる。
ただ部外者は殺されちゃうので、たまったもんではない。

生贄は残酷だけど、どの社会でも人は死ぬ。ダニーの妹も社会でうまく生きられずに自死したのだったら、その仕組みの中の生贄のようなものかもしれない。
現代社会では悲しみや苦しみや怒りは疎まれ、無視されてしまいがちで、それは個人に降りかかる暴力や病気や貧困として現れる。

人が生きていくのは、ややこしいな。
無意識下のそれをどうするかみたいなこと。

今は、共同体でやっていたことを個人でやらなきゃいけなくなってて、映画とか小説とか音楽は、結構、その助けになっていると思う。
そんな映画でした。
面白かったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?