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善光寺の紹介③ 善光寺如来編

 さて、前回は「善光寺縁起編」ということで善光寺如来にまつわる伝承についてあつかいました。今回は、その現在と考察を書いていきたいと思います。

1.善光寺如来の現在

 三国伝来・日本最古ということで知られる善光寺如来ですが、善光寺に行けば見ることができるのでしょうか。答えは否です。ご本尊は絶対秘仏であって善光寺の僧侶でさえも直接拝むことが許されません。日本には絶対秘仏として有名な仏像が3件あり、善光寺如来はその一つです。(日本三大秘仏は善光寺の阿弥陀如来、浅草寺の聖観音菩薩、東大寺二月堂の十一面観音菩薩) 

 じゃあ御開帳は何なんだよ、というと、あれは鎌倉時代に作られた前立本尊という分身仏です。分身でさえあんなにすごいんだからご本家は….と思うとロマンがあると思いませんか?………思いませんか、そうですか。ちなみに前立本尊は普段、大勧進の宝物庫にいらっしゃいます。だから「御遷座式」「御還座式」では輿で大勧進ー本堂間を運ぶわけです。

一般的な前立本尊は、秘仏の厨子の前に常時いるものです。参拝者は普段秘仏の姿を模した「お前立」を拝み、御開帳の時のみ秘仏を直接拝みます。代表的な例は清水寺です。しかし、善光寺は前立本尊すら秘仏となっている特徴的な寺院です。

 しかし、御本尊に一切近づけないかというとそうではありません。御本尊を安置する宮殿は1日のうちほんの一瞬だけ見ることができます。

 御本尊は、下の写真にある本堂内内陣のさらに奥、瑠璃壇の中に安置されています(写真は善光寺HPより。本堂内は撮影厳禁)。瑠璃段は普段鳳凰の戸張がかかっていますが、法要の時は鳳凰の戸張が上がって龍の戸張が姿を見せ、そして法要中のほんの一瞬、龍の戸張も上がって金色の宮殿が姿を見せます。知っている限りでは、お朝事と12時の法要の時です。とても荘厳で感動するので長野住みの人はぜひ。

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寺オタクの人はひっかかったかもしれませんが、普通、仏像を安置するところは須弥山にちなんで須弥壇といいます。しかし、善光寺は瑠璃壇といいます。瑠璃というのは阿弥陀如来がいる浄土の名称の一つで、これに因みます。名前こそ例外的ですが、命名コンセプト自体は原則通りです。

2.善光寺如来の姿

 前回から善光寺如来、善光寺如来と言っておきながら全く写真も提示していなかったので載せます。前立本尊です。(産経新聞より。本堂内は撮影厳禁。)

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 いわゆる一光三尊という形で、一つの光背に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が立っています。

 印相は、中央の阿弥陀如来が左手で施無畏印、右手で与願印を結んでおり、脇侍である両菩薩が梵篋印を結んでいるという飛鳥時代・白鳳時代の仏像に特徴的な印相で、渡来仏に由来することを示唆します。さらに蓮台は臼型であり、このような特徴を持つ仏像を特に善光寺式阿弥陀如来像といいます。

3.善光寺如来の系譜

 では、善光寺如来の出自はどこに見出せるのでしょうか。その核心に迫るものが「東京国立博物館 法隆寺宝物館」にあります。ここは、明治時代、寺院が窮地に立たされた時代に法隆寺が皇室に売却した宝物を展示しているところです。ここには渡来仏や伎楽面、仏具などが展示してありますが、善光寺如来を考えるときに注目したいのがこれです。(東京国立博物館より)

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 東京国立博物館の解説によると6~7世紀・朝鮮三国時代の作です。また、東洋館にも、石仏にはなりますが6世紀・東魏時代の作と推定される一光三尊仏があります。(東京国立博物館より)

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 これ以上踏み込むと美術史の領域になってしまうのでこれ以上の詮索はやめておきますが(gacosで調べたら韓国語の論文が大量に出てきたのでまたの機会に)、善光寺如来の起源は大陸に見出せそうです。それも、そこまで昔のものではないのではないでしょうか。韓国語が読めるようになってから改めて調べてみたいと思います。

おわりに

 次は境内紹介でもやろうと思います。その前に長野のラーメン屋紹介ですが。

参考:善光寺HP、東京国立博物館HP

写真:善光寺、産経新聞、東京国立博物館



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