日本古代貨幣についてのなんちゃって東大型問題

授業で紹介されていた本『日本古代貨幣の創出』が非常に面白かったので内容の整理も含めて東大日本史風の問題にしてみました(趣味)。形式が違いすぎてサークルの方には出せないのでここに置いておきます。こういう場ができてよかった。。

歴史と文化履修者の方は復習として少しは役立つかもしれません。授業内容が理解できていればかなり楽に解けます。

初見だとたぶん難しいです。和同銀銭についても盛り込もうと思ったけどちょっと今の自分の力量では無理でした。

第1問

 次の⑴〜⑸の文章を読んで,下記の設問A〜Cに答えなさい。解答は,解答用紙の(イ)の欄に, 設問ごとに改行し, 設問の記号を付して記入しなさい。

⑴ 日本の貨幣で最古のものは無文銀銭という銀銭であり, 天智朝には発行されていたと見られている。無文銀銭は銀自体の価値で流通していたらしい。

⑵ 古代国家は, 7世紀後半に富本銭, 708年に和同開珎といった銅銭を発行したが, これらは銀銭と等価に公定されたため流通の場では好まれなかったと考えられる。

⑶ 709年, 政府は銅銭の使用を禁じた。711年には銅銭の価値を穀(もみ)を基準にして定めるとともに, 禄法を定めて官吏への俸給の支払いの一部を銅銭に変えた。蓄銭叙位令も同年に出された法令である。

⑷ 大宝律令の段階では, 銭貨の私鋳は罪に問われなかったが, 711年には銅銭の私鋳禁止令が出された。その内容は, 従者・家族にまで罪が及ぶ極刑であった。

⑸ 721年, 銀銭と銅銭の交換比率が公定され, 銀銭の使用が認められた。これは銀銭1枚の価値を銅銭25枚分とするものであった。

設 問
A 古代国家が銅銭を発行した目的は何か。(表1)を参考に2行以内で述べなさい。

B 蓄銭叙位令のねらいは何か。同令が銅銭流通策の一つであることに着目して1行以内で述べなさい。

C 古代国家の貨幣に関する政策は和同開珎の発行以降どのように展開し, 8世紀中盤にはどのような状態に帰結したのか。取り上げた法令をもとに, あわせて2行以内で述べなさい。

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ちなみに一行=30字(設問記号も一字とカウント)です。



↓解答例

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参考:今村啓爾『日本古代貨幣の創出』講談社学術文庫、2015年

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