1997年のエヴァンゲリオン、2020年のヱヴァンゲリヲン

 1997年の夏、公開直前に行われた「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」(通称・EOE)の一般向け試写会に、仕事にかこつけて潜り込んだ。作品は87分。上映中、私は身じろぎもできず、スクリーンに映し出される映像に、ただただ圧倒されていた。劇場に明るさが戻っても、しばらくシートにもたれ、放心していた。いきなり浸入してきた土足の誰かに、心の中を乱暴に踏み荒らされ、そのまま居座られたような感覚だった。

 スタッフに追い出されるように劇場を出て、よろよろと最寄り駅近くまで歩く。目についた電話ボックスの扉を開き、受話器を握ってテレカ(テレホンカード)を入れた。雨上がりの蒸し暑い夜だったこと、そして、そんな遅くに電話できる相手だったこと、ぐらいしか覚えていない。たぶん、支離滅裂な感想を一方的にまくしたてたのだと思う。相手はしばらく黙って聞いてくれ、「はいはい、またね」と受話器を置いた。今さらながらに、ごめんなさい、だ。

 結局、私は公開後、自腹を切って、EOEを5回見た。仕事を切り上げ、毎回、一番遅いレイトショーに一人で行った。アニメも映画もずいぶん見てきたつもりだったけど、封切り作品を短期間に繰り返し鑑賞したのは、それが初めてのことだった。

 庵野秀明監督が手がけるエヴァンゲリオンは、当初から「衒学(げんがく)的」とか「哲学的」とか評されていたけれど、少なくとも私は、「わからないから何度も見直した」のではなかった。確かに「わからない」こともたくさんあった。でも、決して「理解」を求めて劇場に足を運んだわけではない。

 自分はなんで、この作品にこんなに打ちのめされるのだろう――。その事実そのものに、嘔吐しそうなほど困惑した。多分に狂気を孕(はら)んだ作品に、共鳴している自分がいる。劇中の言葉で言えば、まさに「シンクロ」しているわけだ。このままだと「向こう側」に行ってしまいそうな気がして、怖くて怖くてたまらなかった。断片的な理解が進むことなど、些事に過ぎない。繰り返し劇場に足を運んだのは、「こちら側」にとどまりたかったからなのだ。これは「よくできたアニメーション」であり、私とアニメーションの間には強度を持った「境界」がある。そのことの確認を求めて、同じ作品をひたすら見続けた。

 エヴァが最初にテレビで放映されたのは、1995年の秋から翌年の春にかけてのことである。全26話。平日夕方の放送枠だったので、当時、すでに駆け出しの社会人だった私は、リアルタイムでは見ていない。主にテレビ版の「第弐拾伍話」と続く「最終話」をめぐり、まずはアニメファンの間で賛否両論の議論が起こり、口コミやパソコン通信で拡散。ほどなく、アニメ関連以外のメディアも取り上げはじめ、サブカルチャーや社会学、若者論、宗教学、心理学、表象論などさまざまな文脈で語られるようになっていく。

 1995年はいろんな意味で、その後に続く「いま」の基点になった一年だ。1月に阪神・淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が起きた。EOEが封切られたしばらくあと、11月にはマイクロソフトのWindows 95(日本語版)が発売された。これは、誰もがGUIを備えたパソコンやインターネットに親しむ嚆矢(こうし)になる。

 女子高生のブルセラ(ブルマーとセーラー服)販売や援助交際が世間の耳目を集めたのもこの時期だった。バブル崩壊の影響がいよいよ鮮明になり、戦後の価値観がぐらぐら揺らいでいた。世の中が「まったり」と停滞し、あらゆるものが前へ前へと直線には進まなくなった。不安と不穏と、それに対する躁的防衛が、はち切れそうなほど社会に充満していた。あの時代のことを書き始めると、止まらなくなるので、いつかnoteでしっかり振り返ってみようと思っている。

 ともあれ、活字業界の片隅にいた私にとっても、そんな世相に産み落とされたエヴァは、放っておけない作品になった。YouTubeがサービスを始めたのは2005年。のちに所有者となるGoogleですら1998年の誕生なので、今のようにネットで動画を視聴することはできなかった。私が最初に見た「動くエヴァ」は、テレビ放映が終わった翌1997年2月からの深夜枠の再放送だった。

 私たちの世代は、男子も女子も、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」、「機動戦士ガンダム」で育った。これらの作品は、「子ども向けアニメ」の枠を超え、大人の鑑賞にも十分堪えた。たぶん、前後数年を含め、私たちは「成長しても当たり前にアニメを見る」最初の世代だったように思う。だから、おのずとみんな、アニメに対する目は肥えていた。

 再放送のエヴァを見始めた頃、「確かに面白いけれど、社会現象になるほどだろうか」と感じていた。やがて、雑誌や人づてでしか知らなかった、最後の2話にさしかかる。自室の14型ブラウン管に映し出された映像を見て、私は衝撃を受けた。

 まるで、突然底が抜けたように、この両話では紡がれてきたストーリーの継続が放棄されている。視聴者を完全に置き去りにしたまま、14歳の主人公は形而上学的(中二病的)な自問自答を繰り返し、最後に主要な登場人物全員から拍手で祝福される。張りめぐらされた伏線も、意味ありげに随所に置かれた布石(らしきもの)も、まったく手つかずのまま放置され、物語は唐突に終焉を迎えるのだ。なにこれ!? こんなのありなの!? え、「人類補完計画」って、結局なんだったの!? 

 EOEは、この最後の2話をリメイクしたものだ。一応、最後まで物語が展開するよう描き直されてはいるけれど、今度はすさまじいディストピアが、ある種のユートピアとして、挑発的に提示されている。劇中ずっと、私は、鋭利な刃物で心をえぐり続けられるような気持ちでいた。たちが悪いのは、見終えてなお、全身の皮膚の内側に、黒くてどろりとした汚物がべっとり付着し、浸潤してくるような恐怖を感じたことだ。エヴァが紡ぐ物語は、放棄されても継続されても、まるでカタルシスを与えてくれない。見る側にとっての安易な了解可能性を徹底的に拒む庵野監督は、本当にすごいと思った。

 テレビ放映から25年。今年6月、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の完結編(第4作)が上映される予定だった。テレビ版ともEOEとも異なるエヴァを描いた「新劇場版」は、最初の1作が2007年に公開された。2作目あたりまではテレビ版のリメイクの色合いが濃かったが、2012年の3作目から物語は大きく分岐し、予想もつかない方向に転がり始めている。一年前の7月、日本を含めた数カ国で、「4作目の冒頭10分40秒」とされる映像が公開されるイベントがあった。私はネットで視聴したが、3作目の終わりからどうしてこの場面につながるのか、さっぱりわからず、再び困惑した。

 EOEの印象が強烈だったこともあり、私にとって、エヴァは夏のイメージだ。映像公開のイベントも昨夏だったし、何より、劇中で描かれるのは、大災害で気候が狂い、一年中蟬が鳴く常夏の世界である。

 完結編は感染症の影響で、公開延期になった。新たな封切り日は、いまだ公表されていない。

 きょう、8月がはじまった。東京の感染者数は、過去最多の472人。全国では1500人を超えたという。現実世界で「セカンドインパクト」が起きているのだ。きっと、この夏のうちに、完結編は見られないだろう。

 始まりから四半世紀。私もずいぶん年を取った。ナルシズムみたいな言い方だけど、若い頃、EOEに激しく揺さぶられた自分が、人生の黄昏時にさしかかり、物語の終焉にどう反応するのか――。実はそのことに、一番興味がある。

 感染症に苦しむ人たちの回復を願い、立ち向かう医療者たちを改めて尊いと思う。一日も早い終息を祈りつつ、リアルに蟬の声を聞きながら、最後のエヴァのお披露目を、心待ちにしている。

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