HSPあるある「自分を責める」
元コミュ障でHSS型HSPアナウンサーの小屋敷彰吾です(^^)
先日の「コミュニケーションレッスン」で、印象に残った生徒さんの言葉がありました。
それは「会話が盛り上がらなかった時、自分が悪かったのかなと思ってしまうんですよね」という一言です。
私は「これ、わかるなー」と共感しながら話を聞いていました。
話し相手が不機嫌だった時とっさに「自分のせいかも」と思ってしまうんですよね。
これは、ほぼ無意識で自動的に行っています。
この「自分のせいにしがちである」ということは、HSPの特徴かなと思います。
(生徒さんも中程度のHSPである、とおっしゃっていました)
ということで今日は、
・HSPの人は「なぜ自分のせいにしがちなのか」
をお伝えしていきます!
1.なぜ自分のせいにしてしまうのか
なぜHSPの人は「自分のせいにして落ち込んでしまう」傾向があるのでしょうか。
これには2つの理由が考えられます。
①不機嫌な相手をみると危険センサーが反応するから
HSPの人は「敏感で鋭い感受性」を持っています。
その鋭い感受性はこれまで「危険を察知する」ことに活かされてきました。
大昔であれば、一早く敵の存在に気づき、仲間に知らせることで「危険を回避」してきました。
歴史的に考えるとHSPはいわば「炭鉱のカナリア」のような役目を担ってきたわけです。
(カナリアは人間が気付かない無臭のガスにも敏感に反応するため、炭鉱採掘の際は危険回避のためにカナリアを連れて行ったそうです)
そのような鋭いセンサーがあるからこそ「不機嫌な相手をみると危険センサーが反応しやすい」のです。
極端な言い方をすれば「不機嫌な相手」は、「自分に危害を与えてくる危険性がある人物」とも言えます。
そういう相手に対してHSPの人は、本能的に警戒してしまうのです。
そのような警戒心から「これ以上相手を不機嫌にさせないためにはどうしたら良いか?」ということを考え、自分の言動を振り返る傾向があるのではないでしょうか。
それが「自分を責める」ことにつながるひとつの理由です。
②事実と解釈の区別が苦手だから
またHSPは感受性が豊かであるがゆえに
「事実と解釈の区別が苦手」という傾向もあります。
※ここでは、「事実」=感情が入り込んでいない客観的な判断、「解釈」=感情が入り込んでいる主観的な判断と定義します。
例えばこのような会話があって、
私「○○さん、サッカー好きなんですよね」
相手「そうだよー」(ぶっきら棒な感じ)
私「・・・」
こんな風に分析したとしましょう。
「自分の聞き方が良くなかったかな」
「サッカーの話題はまずかったのかな」
この場合、事実と解釈は以下のようになります。
事実(客観的判断)
「相手がぶっきら棒である」
「相手の機嫌が良くない」
解釈(主観的判断)
「自分の聞き方がよくなかったかもしれない」
「話題がよくなかったかもしれない」
HSPでない人は、HSPの人と比べると感受性が敏感すぎないので、事実を判断する際に解釈(主観的判断)が入り込みづらいといえます。
ですから比較的容易に「事実と解釈の区別」を行うことができます。
しかしHSPの人は、感受性が豊かすぎるため事実に対して自分の感情(主観)が入り込んでしまいます。
そのため「事実と解釈の混同」が起きやすいのです。
その結果「ぶっきら棒である」という事実と「自分の聞き方がよくなかったのかもしれない」と解釈が混ざり合って、自分を責めてしまうのです。
このようにHSPの特性である豊かな感受性が仇となり「自分のせいにしてしまいがち」なのでしょう。
2.自分のせいにしても良いことはない
私はHSPなので「自分のせいにする」という選択肢をとってしまいがちです。
しかし自分のせいにしたところで、良いことって何もないんですよね。
相手からすると「そんなつもりはないのに」と困惑されてしまうかもしれません。
何より自分が落ち込むことになります。
ですから「自分のせいにする」という行動は、双方にとってメリットがなく、避けるべき行動だといえます。
では、自分のせいにしないように「どんなことを工夫していくべきなのか」。
HSPの方へ向けた「おすすめの方法」については、また次回お伝えします!
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます(^^)
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