凱旋門賞制覇は日本競馬界の悲願である? ちょっと何言ってるか分かんない。

 タイトルの言葉はよく言われていますし、よく耳にします。しかし、よく考えてみると、よく分からない。日本産馬が勝てばいいのか、日本調教馬が勝てばいいのか、日本人馬主が勝てばいいのか、日本人騎手が勝てばいいのか、それとも、日本産種牡馬の産駒が勝てばいいのか? もちろんすべて同時に叶えば万事OKなのですが、あまりにも悲願の定義が曖昧です。

 「凱旋門賞制覇は日本競馬界の悲願である」という言葉が生まれた当初は(いつなのかは知りませんが)、おそらく、日本人馬主が所有する、日本産馬である、日本調教馬に、日本人騎手が乗って凱旋門賞を勝つことを意味していたと思います(シリウスシンボリのフィリッペロン騎乗の例はあるものの)。つまり、オール・ジャパンで凱旋門賞を勝つことが悲願だったはずです。エルコンドルパサーやタップダンスシチーは外国産馬ですが、それでも日本人馬主、日本調教馬、日本人騎手と日本色の濃い馬でしたし、この2頭が『日本馬』であることを否定する人はいないでしょう。

 しかし現在、冒頭でも述べたように、「凱旋門賞制覇は日本競馬界の悲願である」という言葉の定義が迷走しています。何がどうなれば日本競馬界の悲願が達成されるのか、まったく分かりません。この方のように、「日本競馬界の悲願ともいえるディープインパクト産駒による凱旋門賞制覇」という意見もあります。日本競馬の悲願はいつからディープインパクト産駒限定になったのでしょうか? ディープインパクト産駒ならスリランカ調教馬でもマダガスカル調教馬でもいいんですか? ロードカナロア産駒やジャスタウェイ産駒ではダメなんですか?

『ディープ産駒の凱旋門賞Vは日本馬か欧州馬か』
https://news.yahoo.co.jp/articles/a90831e9ce3a3986c01c904ef7dd673a06ac6647
最終閲覧日:2020年7月9日

 「凱旋門賞制覇は日本競馬界の悲願である」のという言葉の定義が曖昧になったのには、あるいは、オール・ジャパンである必要性が薄れていったのには、2つの理由があると思います。

 1つ目は、なかなか勝てないという現実です。オール・ジャパンで挑んでも結果が出ない。だったら、ロンシャン競馬場に慣れている現地の騎手を乗せてみよう(オルフェーヴル×スミヨン、キセキ×スミヨン)。もしくは、海外の強い馬を買って挑んでみよう(ブルーム、ジャパン)。外国馬に日本人騎手が乗っている場合もアリにしてみよう(ホワイトマズル×武豊、ソフトライト×武豊)。人間というのは、結果が見えてこないとすぐに難易度を下げたくなる生き物です。

 仮にジャパンが凱旋門賞を制したとして(鞍上が武豊だったとしても)、日本競馬界の悲願が果たされたと言えるでしょうか? ジャパンはガリレオの産駒で、ジャパンを育てたのはクールモアであり、オブライエン厩舎です。それは日本の勝利ではなく、アイルランドの勝利であり、日本競馬の悲願達成ではなく、武豊(と松島オーナー)の悲願達成です(武豊の夢が叶えば日本競馬の夢が叶ったも同然だと考えている方に対しては何も言うまい)。

 2つ目は、日本競馬の海外進出です。もっと狭めると、ディープインパクトの産駒が世界中で現れるようになったことです。スタディオブマンはフランス・ダービーを勝ちました。今年もファンシーブルーがフランス・オークスを勝ち、おそらく凱旋門賞でも有力馬になるでしょう。どちらもディープインパクト産駒であることが強調され、まるで日本競馬の勝利であるかのように報じられました。

 しかし、どうも疑問を覚えずにはいられません。それは日本競馬の勝利ではなく、ディープインパクトの勝利であって、現地牧場や厩舎の勝利であって、日本競馬とはほとんど関係がありません。仮にファンシーブルーが凱旋門賞に勝ったら、競馬メディアはディープインパクト産駒であることのみに焦点を当て、あたかも日本競馬の手柄のように報じるだけでなく、「日本競馬の悲願達成!」なんて見出しが紙面に躍るに違いありません。日本競馬の悲願とは、凱旋門賞勝ち馬の血統表のどこかに日本馬の名前があることだったのでしょうか?

 なかなか勝てないから、日本競馬が海外進出してきたからといって、悲願の難易度を下げるのはズルいと思います。1つ例を挙げましょう。あなたの悲願が、ドイツのフランクフルトで、フランクフルト片手にドイツビールを飲むことであるとしましょう。しかし、仕事やお金の都合でドイツには行けそうにない。だから、友人に頼んで、自分の代わりフランクフルトに行ってフランクフルト片手にドイツビールを飲んでもらう。もしくは、スーパーでフランクフルトとドイツビールを買って、胃の中をドイツっぽさで満たす。これであなたの悲願は達成されましたか? おそらく、99%の人が満足しないはずです。

 「凱旋門賞制覇は日本競馬界の悲願である」という言葉のレベルは、今ではここまで下がっています。いや、下がっているのではなく、メディアが勝手に下げています。正直、節操がないです。10年後には、「今年の凱旋門賞を勝った馬の母母父にはロードカナロアがいます! 大快挙です! 日本競馬の悲願達成です!」とでも言うつもりでしょうか?

 個人的には当初の悲願の意味を、つまり、ヒルノダムールやナカヤマフェスタのようなオール・ジャパンで、もしくは、誰も疑問を抱かない『日本馬』で凱旋門賞を勝つことが、真の日本競馬界の悲願達成だと思います。悲願というのは、もっとも重要な願いなわけですから、「コレ!」という明確で不変な基準を持つべきです。

 そもそも……。
 世界には凱旋門賞に匹敵する格のレースがたくさんあります。ケンタッキー・ダービーもキングジョージもブリーダーズカップも。日本馬の海外進出は盛んになりました。凱旋門賞だけが日本競馬の悲願などという考えは、もはや化石なのではないでしょうか。

―― 完

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