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ジェリノットのリアル・ウイニングポスト道を刮目せよ!

 高校生の頃、狂ったようにウイニングポストをやっている時期がありました。授業中もずっと配合のこととか、ローテーションのこととか、どういう馬名をつけるかを考えていて、明らかに日常生活に支障をきたしていました。ベクトルは足し算すらできません。物理は38点でした。

 ウイニングポスター(?)なら誰でもやったことがあると思うのですが、当時の僕は3000mを走れる強い牝馬を作り、桜花賞&皐月賞、オークス&ダービー、秋華賞&菊花賞という拷問ローテを組んで「いえーい、ダブル3冠だぜーい」っていうマスターベーションをしていました。しかもそのあとBCとか香港に遠征してたからね。馬が壊れちゃうし、現実ではありえない……。

 って思うじゃないですか?

 実はダブル3冠ローテを実際にやって、あわやダブル3冠達成というところまで行った牝馬がいたんです。

 それがベネズエラのジェリノット(Gelinotte)という牝馬です。読み方は合っていると思います。検索したらそう表記されているカナダ産のメープルリキュールが出てきたので。

 ジェリノットは父ネヴァーベンド、母マリアッチ、その父プリンスキロという血統で、1977年にベネズエラのエル・ボスケ牧場で産まれました。母のマリアッチはネヴァーベンドとの仔を受胎した状態で1977年1月10日にキーンランドで開かれたセールに上場され、3万2000ドルでベネズエラの馬主に購入されました。ジェリノットは持込馬というわけです。

 1979年8月12日にデビューすると、9月25日の3戦目で初勝利をあげました。2歳時はエドガー・ガントームとシウダー・デ・カラカスという重要なレースを勝ち、その年のベネズエラ最優秀2歳牝馬に選出されました。

 3歳になってからも、連戦連勝……とはいきませんでした。7馬身差で快勝することもあれば、3着に敗れたりもしています。

 1980年5月4日、ジェリノットは名手フアン・ビセンテ・トバール騎手を背に、牝馬3冠競走の1戦目、日本の桜花賞にあたるイポドロモ・ラ・リンコナーダ(ダ1600m)に出走し、1分37秒40で快勝しました。ここからジェリノットのリアル・ウイニングポスト道が始まります。

 管理するミラード・"ムシウー"・ズィアディー調教師は、体調に問題がないということで、翌週5月11日に行なわれる牡馬3冠競走の1戦目ホセ・アントニオ・パエス(ダ1600m)にもジェリノットを出走させました。連闘、しかも牡馬が相手という困難にもかかわらず、ジェリノットはこれも1分37秒00で勝利しました。日本で言うなら、桜花賞&皐月賞のダブル優勝です。

 3週間後の6月1日、牝馬2冠目のプレンサ・ナシオナル(ダ2000m)を快勝して牝馬2冠を達成。連闘策で6月8日の牡馬2冠目ミニステリオ・デ・アグリクルトゥーラ・イ・クリーア(ダ2000)に出走してこれも勝利。牝馬&牡馬2冠を達成しました。さらに3週間後の6月29日に行なわれた牝馬3冠目のヘネラル・ホアキン・クレスポで、ダート2400mという距離延長もなんのその、牝馬3冠を達成しました。

 ジェリノットは翌週7月6日に行なわれた牡馬3冠最終戦のレプブリカ・デ・ベネスエラ(ダ2400m)に出走しました。これを勝てば牝馬&牡馬3冠のダブル3冠達成です。

 4コーナーからスウィートキャンディー(Sweet Candy)との壮絶な叩き合いとなり、ジェリノットは惜しくも3/4馬身差およばずの2着に敗れました。牝馬3冠と牡馬3冠の計6冠を休みなく走った疲労が最後の最後で響いたのかもしれません。

 ダブル3冠というリアル・ウイニングポストは達成できませんでしたが、5月4日から7月6日までのおよそ2ヶ月間で、3,200m(1,600m×2)、4,000m(2,000m×2)、4,800m(2,400m×2)=12,000mを完走し、①①①①①②の牝馬3冠&牡馬2冠でまとめたジェリノットは、ウイポに登場しても不思議ではない馬です。

 ジェリノットは1980年の年度代表馬に選ばれました。ベネズエラ競馬史上、牝馬で年度代表馬を獲得した馬は、1959年のペンシルヴァニア(Pensilvania)、1980年のジェリノット、1982年と83年のトリニキャロル(Trinycarol)、1999年のスターシップミス(Starship Miss)、2009年のバンベーラ(Bambera)、2021年のサンドバレーラ(Sandovalera)の6頭しかいません。

 ジェリノットがその後ビッグレースを勝つことはありませんでした。通算成績は21戦14勝、2着3回、3着2回。引退後はアメリカで繁殖牝馬となり、2018年のウッドバイン・オークスを勝ったディキシームーン(Dixie Moon)の4代母として名前が残っています。

 1995年にベネズエラに帰国。ベネズエラで繁殖牝馬を続ける予定でしたが、1996年6月15日に産まれ故郷のエル・ボスケ牧場で疝痛のため亡くなりました。

 牝馬が連闘で牡馬3冠競走に挑むというのは、ベネズエラではこれ以前にもありました。1971年の3冠牝馬ラバンデーラ(Lavandera)は牡馬2冠目を1着(※2着入線、1着入線馬の斜行により繰り上がり優勝)、3冠目を2着。1974年の3冠牝馬セグラセ(Segula C.)は、牡馬1冠目を10着、3冠目を1着。1978年の3冠牝馬ブロンディー(Blondy)は牡馬2冠目を3着、3冠目を3着でした。

 しかし、ジェリノットの6冠すべて走るというローテーションは前代未聞でした。しかも6戦5勝、2着1回という走りっぷり。彼女の功績は後のベネズエラ競馬にも影響を与えました。

 2009年に年度代表馬となったバンベーラも、牝馬と牡馬の3冠競走すべてに出走しました。牡馬2冠目のクリーア・ナシオナルで2着に敗れてダブル3冠は早々に逃しましたが、6冠を①①①②①①でまとめ、ジェリノットと同じく牝馬3冠と牡馬2冠を達成しました。

 2021年の年度代表馬サンドバレーラは、牝馬3冠競走と牡馬2冠目のクリーア・ナシオナルを走り、いずれも勝利をおさめて変則4冠を達成しました。しかもデビューから無敗で。

 こうしたローテーションがいまだに許されているのも、ジェリノットという偉大な先人(先馬?)が道を切り拓いたおかげでしょう。いつか本当にリアル・ウイニングポスト道を完成させる牝馬が出てくるかもしれません。

 余談ですが、ベネズエラの名馬についての情報は『アネクドタス・イピカス(Anecdotas Hípicas)』というサイトで得られます。というか、このサイトでなければ得られません。今回のジェリノットの話も100%ここを参照しました。難点が1つあって、クリックするたびに怪しげな広告が開きます。すぐに閉じるか、クリックを控えるかして、万が一のウイルス感染に備えながら閲覧してみてください。


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木下 昂也(Koya Kinoshita)
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