K部長との出会い。ななつ星もういっこのストーリィ。
2013年の1月の終わり、
初めて日立製作所に行きました。
大企業ですよ、そりゃあ、闘うのも恐かった。
事前に何がどのくらいかかるか、
見積は提出していたんだけどね。
そこに現れたのが、JR九州のK部長。
こっちが一通り話した後で、
K部長はいいました。
「でも、どうして御社は高いの?」
「そりゃあ、柿右衛門が高いのはわかるよ」
「でも御社の製品がこれだけでこんな値段なのはおかしくない?」
「水戸岡さんと仕事をしてきたのは知ってる」
「でも、水戸岡さんに気に入られてるから、
だから高いっていうのは通らないよ」
正直、悔しかった。出来るだけ正当な価格を呈示したつもりで、
それでもこれだけのことをしたらこれだけかかる、
そんな呈示だったのにね。
「いえ、このプロジェクトで『こんなもんやろ』ってものは僕はつくれません」
精一杯、反論しました。
ななつ星の運行後発行された「ななつ星物語」を読んで、K部長の僕の知らない苦労がわかりました。想像以上の重責が肩にかかってたんだなって、当時のことを思い返しました。
そうして、2013年の初夏、神戸・川崎重工の工場で、24金メッキのフロントグリルを取り出した時の、あの時のK部長の顔をまた思い出しました。
K部長は見た瞬間に仰られました。
「オーノサン、こんなすごいもの表につけるの?!」
「ケースにしまっとくもんだよ、これは!」
こわい人、いってしまえば『敵』と感じていたのに、
K部長のその満面の笑みにこっちが戸惑いました。
製作主体が外装から内装に移った時、別の製作区分で現場に入っていた日立製作所の担当者から電話がかかってきました。
「オーノサン、何をやったんですか?」「ウチの真鍮メッキ、全部ダメっていわれちゃったんですけど!」
「これじゃダメ、鎚絵さんに聞きなさい、オーノサンに聞きなさいっていわれて怒られちゃったんですけど!」
「なにやったんですか!」
ちょっと戸惑いながらもK部長のあの満面の笑みを思い出しました。
それ以来、列車完成まで、
「どうして御社は高いの?」
その質問を、K部長が繰り返すことはなかったです。
一年後くらい、もうJRの他の関連会社に移られたK部長に電話しました。たまたま博多で用事があったので、迷惑かなと思いつつ、連絡したんです。
まだ同じ現場で仕事をしているならともかく、下請けの一企業の人間が、よくよく考えれば大それたことでした。
「いやあ、移動されてからお会いしてないので一度ご挨拶うかがえればと思いまして」
「あーそうなの、何時にこれる?」
「お昼にこれない?」
「お昼にしようよ、お昼、一緒に食べよう」
うん。侠気ってそういうことなんじゃないかと。
単純に、うれしかったです。
写真は運行のまさに前日に撮った、
ツーショットです♪
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