楽しくはないがやりがいのような何かはある中小企業M&Aの後のテコ入れの話

所謂M&Aによってグループインした会社の代表として2年弱、その後また別のグループインした会社の非常勤の取締役として半年。
気が付くと合計で2年半くらい、関係会社のテコ入れに関わる仕事をすることになった。

3年くらい前まで新興アパレル企業でインフルエンサー施策を回したりコラボの営業をやったりという、若干キラキラ感がある仕事をしていたことが遠い昔のようです。

前者は、大成功とはいかなかったものの、当初のユーザー数・MRRの減少トレンドには歯止めがかかり、今後も事業を残すことができる状態にはできた。

一方の後者は、会社の内情を調べ始めた時には、すでに遅いことがわかり事業縮小のお知らせを出すに至った。
同年代の従業員も多い会社で、たまに飲みに行くような仲の方もいた。そうした面々の前で事業縮小について伝える日の前日は、慚愧の念に堪えない思いだった。


事業のテコ入れに関わることは、辛いことが連続する。万事が上手くいっている会社であれば、関係会社とはいえ外部の人間を入れる必要はない。

業績だったり、採用のミスだったり、何かトラブルを抱えていることが当然だ。

しかしながら、元からそこにいる従業員は、自社の課題を必ずしも認識していない。
会社に大赤字が出ている等の状態であれば、多少とも従業員は気づくが、ストック型のビジネスなどであれば業績が急激に悪化していても、足元はなまじ黒字が出ている状態なので、まだ大丈夫だろうという感覚が従業員にはあったりする。そもそも、アクセスできる経営指標が限定的であったり、日々の業務で頭がいっぱいということもある。

対照的に、外から経営メンバーとして連れて来られた身であれば、今の状況が続けば計算上××カ月後に赤字転落しているだろうということを想像しやすい。そのため内心では焦った気持ちでジョインすることになる。

テコ入れに関わる人間と、元の従業員に温度感の差が生まれやすいのは、単に私たちが「外様」だからではなく、このような情報認識のギャップの大きさも影響している。

このギャップにより、事業のテコ入れのような試みには、抵抗勢力が生まれてしまいがちである。目下の資金繰りや費用構造の改善を目的にしたコストカットの施策に抵抗が示されるのは至極当然としても、新機能開発といった前向きな施策でも抵抗が生じることもある。また、表立っていなくとも、面従腹背のような抵抗も存在する。

事業の数値やタイムリミットに悩まされることに加えて、人の問題にも悩まされるのが、このような試みの苦しい点である。むしろ、数字やタイムリミットよりも、人の問題の方が主観的なストレスを与えることもある。


それでは、このような仕事は全く報われない、辛いことばかりなのだろうか。それもまた違う。

所謂レバレッジの効く仕事を相対的に行いやすい。これは自分の仕事によって事業が延命したり、売上増・コスト減のいずれかによって今後期待できる利益の幅が変動すれば、影響は営業利益に換算して数千万、あるいは億円に至る。

次に、責任の対価として、自分の仕事を通じて人(主に従業員)の人生に作用することができ、その実感を得ることになる。ある従業員から、「来てくれてなかったら、この会社は今ごろ無かったと思います」と言われたことがある。その人は、少しお世辞を言う人ではあるので、本当にそのようなことを思っているのかは、わからないが、人の人生に作用するということはこのようなことをイメージしている。

また、一長一短だが、切羽詰まった状況に身が置かれることで、通常の仕事では湧きにくい、火事場のクソ力のような集中力とハードワーク耐性が一時的に湧き上がってくるのも、体力の余る若い時期には良い点だと思う。

皆が皆、やりたがるような仕事では決してないので、その分感謝を受けやすい。

そういうわけで、いろんな人から「大変でしたね」と言われてしまっている割には、別に楽しくはないものの、やりがいを多少なり感じてもいる。

こういう形のやりがいも発生しうるもので、これは小さな発見だった。

さて、やりがいの感じ方や仕事の進め方がわかってきたのは良いものの、テコ入れが必要そうな事業が今は社内に無いので、すぐ活きるわけではなさそうです。

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