そのうち「少子化対策」に国民が飽きてくるんじゃないか

「東京都のマッチングアプリ」のニュースで色々と思いついたことがあったので、日記的に思い付きで書いておきます。

公権力のマッチングアプリ、有識者はみんな思いついてるけど、なんやかんやで実行しないだろうと思ってたぜ!すみません舐めてました。

東京都が少子化対策でマッチングアプリを作ると聞いて、少なくない人が「税金でマッチングアプリなんてけしからん!」と思ったんじゃないでしょうか。
そんなことに税金を使うなら、子育て支援に使ってほしいと思う人は、とても自然な感性の持ち主だと思います。


一方で、じゃあ子育て支援が「少子化対策」の施策として正しいのかというと、それはかなり疑わしいんですね。

「少子化対策」に対応する施策としての「子育て支援」の論理の薄さ

そもそも、少子化は婚姻数の減少に応じて起きているのであって、結婚数あたりの出生数は下がっていないという事実がある(つまり変数は結婚の数の少なさ)。もうだいぶ前から指摘されているので、多少関心を持って調べたことがある人には、かなり浸透しているんじゃないかね~。

例えば上にアマゾンのリンクを貼った本は、結婚数あたりの出生数は減ってないという前提に立って、なぜ結婚の数が減っているのかについて、上昇婚志向の強さとの関係性に着目して考察している(面白いので興味があったら読んでみてください。もちろんアフィリンクとかないよ)。

明石市や流山市のように、移住を促進する施策としての子育て支援は、この限りではない。実績の通りの効果があるが、それは子どもを持とうとしている人を集める施策(社会増)としての有効だが、日本という国が少子化問題を扱う場合は、移民の受け入れを前提にしない限りは、自然増を狙うことが前提になってきます。

結婚数に対する出生数は減っていないのであれば、子育て支援は少子化対策に効果があるのだろうか?

まぁ僕も、年齢を考えたらこれから子供を持つ側になるかもしれないです。子育て支援をやってくれたら、何かが懐に入ってくれるかもしれない!

そうでなくともちびっ子が楽しそうにしているところを見るのは好きなので、感情的な面では子育て支援に対して特に強い反対があるわけではないのが正直なところです。

だがしかし

とはいえ冷静に考えれば、保険料等を含めた広義の税を財源にして行う施策というのは、誰かからお金を取り上げて、誰かにあげる施策である側面も持ちます(暴力の独占)。

そのような再分配が孕む性質について思いを馳せながら、子育て支援が原因に対応する施策ではないことも思いだすと、果たしてその再分配は正当化できるのだろうか?という疑問が湧いてきますね。

「官製マッチングアプリ」の間違ってなさと期待

今度は、少子化の変数として結婚の数が減っている方を思い出してください。
これに注目すると、東京都がマッチングアプリを作っていることは、実は筋が通っていることがわかってきますよね。だって結婚の数が減っているんだから。それに対応する施策は子育て支援ではなく出会いの場を作ることですね。

しかも、民間のマッチングアプリをやったことがある人はわかると思うんですが、男側にお金が結構かかりますよね。送れる「いいね」の数が限られていて、それを増やすためにオプション料金を払ったりする必要があり。

アプリもそれなりに競争環境が激しいので、めちゃくちゃ悪どい施策をやってるわけではないですが、利益を出そうとしたら、ある程度は交際相手を見つけるのに苦労してもらわないといけないというインセンティブがあります。ボランティアじゃないししょうがないよね。

そういうわけで、実は官製の、純粋に出会いの数を増やそうとしているマッチングアプリというのは、実は良いものになる可能性があると思います。

僕はパートナーがいるから試せないけどね!

「公」が結婚を促すということ

官製マッチングアプリがそこまで間違ったものではないということを紹介しました。じゃあそれで済む話なのかというと、そうでもないです。

というのも、都という公の存在が結婚を奨励するというスタンスが明確に出てしまうからです。

結婚って、そもそも個人の自由じゃなかったですっけ?

もちろんマッチングアプリを作ったくらいで個人の自由は侵害されているとは言いにくいのかな?と思いますが、このスタンスがもっと露骨になったら少し気持ち悪いでしょう。

表向きは「個人の価値観の自由」ということを標ぼうしながら、結婚をしたいと考える人に「再分配」してしまったら、それは価値観の自由が担保されていると言えるのでしょうか。

そういう論点で、やっぱりこの施策も批判は免れないんだろうなと思います。

「少子化対策」に飽きてこないか?

子育て支援にお金を突っ込み続けることの効果が期待できず、一方で論理的に正しそうな結婚支援にも、個人の価値観の自由という建前との相性の悪さという問題があるとして、じゃあどうせいっちゅうねん!と思いませんか?

そうなんですよ。どうせいっちゅうねん!という話です。

これに対しては、僕は僕のイデオロギーを持っているのですが、この日記はそういうテーマじゃないので。

少子化にこのままさほど歯止めがかからず、それでも選挙のアピールポイントが「少子化対策」「子育て支援」のまま変わらなかったら、この「どうせいっちゅうねん!」的な感覚が、徐々に国民の間にも広まってくるんじゃないかな、と考えています。

実際、社会は複雑性の塊なので、政策の効果とは関係ないところで、価値観が変わって結婚の数が増えたり、楽天の三木谷曲線みたいに子育て支援をやりまくったら「原因と対策」のロジックをぶち抜いて効果が出たりするかもしれないですけどね。

ただ、この調子だと、そのうち、みんな少子化対策に飽きるんじゃないかな。



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