禁忌の墓石

相良さんの母方の田舎は新潟県の魚沼市の田舎にあった。
娯楽施設などは皆無だったが海や川や山も近く、新潟市で生まれ育った彼にとってはとても新鮮な楽しみがあった。
母親は年に何度か1人で里帰りをしていたが、小学生だった彼や兄は年に1度か2度一緒に連れて行ってもらえるのが関の山だった。
そんな母親がいつも羨ましく感じられた。
だから、年に1度か2度の里帰りの際には、これでもかという程色んな冒険をして遊んだ。
母親から、絶対に駄目!と言われると余計にそれを破りたくなってしまう。
しかし、今にして思えば母親はその土地で生まれずっと長い間、其処で暮らしていた。
だとしたら、本当に危険な場所というのもしっかりと把握できていたのだろう。
実は母親の実家から徒歩で5分ほどの場所に沢山のお墓が集められた墓所があった。
勿論、その墓所で遊ぶことなど全く怖くなかったし母親もそれ自体は全く止めることは無かった。
ただし、その墓所の奥にある大きな墓石に近づくことだけは固く禁止されていた。
その墓石に触った者はそのままあの世に連れていかれる・・・。
そのお墓に近づいただけで祟りがある・・・。
確かにその話を初めて聞いた時、彼も兄も、そして従弟も震え上がったのは間違いなかった。
ただ、色んな危険な場所に立ち入って遊んでいるうちに、そのもっともらしい話への恐怖心はどんどん薄らいでいった。
いや、それどころか、いつしか彼らは危険な場所にこそ楽しい事が待っている、とばかりになんとかその墓石を制覇する事しか考えなくなっていた。
そして、ある年の夏、従弟がこう耳打ちしてきた。
今日は、思い切って例の墓石の場所を探検しないか?と。
勿論、断る理由は無かったし、何より臆病者というレッテルを貼られるのが嫌だった。
だから彼も兄も二つ返事でその申し出をOKしてしまった。
ただ、やはり夜にそんな場所に行くのは避けたかった。
だから、彼たちは昼ご飯を食べた後に、その墓石の場所へと向かう事に決めた。
明るい日差しの中だったから件の墓石に向かうのは全く怖くは無かった。
お盆の時期ではなかったせいか、墓所には他の人はいなかった。
彼と兄、そして従兄弟はまるで探検にでも来ているような気持ちになっていた。
沢山の墓石が並んでいる土で固められた通路を通って彼らは一番奥を目指した。
それまでもその墓所には何度も来ていたが、これほど奥まで進んだのは初めての事だった。
そう・・・一番奥の墓石からさらに細い道を上った所に件の墓石があるのは分かっていた。
そうしていると、知らないうちにポツポツと小雨が降り始めた。
小雨はすぐに大粒の雨になり彼らは近くの木の下に避難した。
雨はなかなか止んでくらなかった。
辺りは一気に暗くなり雷鳴までもが轟き始める。
ピカッと光る度に彼らは耳を塞ぎ体を固くして眼を閉じた。
そうして何度目かの雷鳴がありそれが地上に落雷したかのような轟音が響いた後、恐る恐る眼を開けた彼らは不思議な光景を見た。
酷い土砂降りだというのに雷の音も強い雨の音も聞こえず無音状態の中に彼らはいた。
そして雨宿りをしている木の近くから奥の墓石まで光に覆われた白く透けたトンネルが出来ていた。
彼らはぽかんとした表情でそれをただ見つめていた。
するとコソコソと囁くような声が聴こえ始めそれがゆっくりと近づいてきた。
その声は少しずつ人数を増やしていくようにガヤガヤという声に変わっていきやがてその場で固まる彼らの取り囲む様に聞こえだした。
その声ははっきりと聞こえてはいたが少し早口で何を話しているのかが全く理解出来なかった。
どんどん大きくなる話し声・・・。
しかしその声の主は誰も姿が見えない。
彼らは耳が痛くなる程の声に両耳を塞ぎお互いの声すら聞き取れない状態だった。
その時、その言葉だけがはっきりと聞き取れた。
キメタ・・・コイツダ・・・。
確かにそう聞こえた。
決して大きくはない低い声なのにその声だけははっきりと。
そしてその瞬間、再び大きな落雷音が聞こえ彼らが眼を開けた時には全てが消えていた。
白いトンネルもガヤガヤとした声も土砂降りの雨も・・・。
そして従兄弟の1人も・・・。
それから大騒ぎになり警察や大人達が総出で従姉を捜索したが何処にも手掛かりは残っておらず現在でも従弟は見つかってはいない。
そもそも彼らは何に出会ってしまったのか?
そもそもその日その地域には雨など1ミリも降っておらず雷も鳴ってはいない。
それでも大人達は彼らの証言を真面目に聞いて信じてくれたそうだ。
そしてその理由は過去にも同じような不可思議な失踪事件が一度起こっているのだと聞かされた時には彼らは愕然として恐怖が蘇ってきたそうだ。

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