第2章 導かれて・・・。


本来ならばいつも通りお盆の時期は俺の実家でのんびり過ごすはずだった。
しかし今年の早い時期に親父とおふくろがたて続けに病に倒れそのまま入院となってしまった。
命に別状は無いとの事で安心したがそれでもお盆の時期に帰省する先が無くなり急遽行き先を妻方の実家に変更した。
ただ妻方の実家には結婚式以来訪れてはいなかった。
普通の田舎ならば別に問題は無いが妻方の実家が在るのは山深い過疎地だった。
辿り着くには途中で車を降り徒歩で1時間以上歩かなければいけなかった。
そういう意味ではどうしても楽な方を選んでしまい俺の実家にばかり帰省する事になってしまっていた。
そんな感じで妻には悪いが義父母とは無意識に疎遠になっていた。
しかしそれはどうやら間違いではなかった様だ。
久しぶりに妻方の実家への行程を歩いてみるとやたらと歩きづらい山道が続き休憩場所など1つも見つからない。
何度も転びそうになり軽く足首を捻りながら必死で歩き続ける事になった。
そうして汗だくになりながらようやく辿り着いた妻の実家に義父母の姿は無かった。
妻からは帰省する日にちは伝えてあったはず・・・。
しかもどうやらちょっと出かけたという感じではなく家の中には蜘蛛の巣が張りずっと誰も住んでいない家の様にしか感じられない。
いったい義父母は何処へ行ったというのか?
そして俺達家族はどうやってこんな実家で過ごせばいいのか?
やはりこんな所には来るべきではなかった・・・。
そう考えていたが妻が持っていた合鍵で無人の義父母の家にあがり風呂に入って晩飯を食べると不思議と心が落ち着いてきた。
こんな時間の過ごし方も良いのではないか・・・。
そんな風に思えるようになっていた。
水も美味しく空気も美味しい。
そして何よりも田舎特有の柔らかい空気感がとても心地よかった。
そうしてのんびりと縁側で過ごしていると遠くから賑やかな音楽が聞こえてきた。
どうやら近くで盆踊りがおこなわれているらしい。
妻と娘からも行きたくてうずうずしている感じが俺にも伝わってくる。
あいにく浴衣など持って来てはいなかったが村人達が楽しそうに躍っているのを見るだけでも夏の風情を感じられるに違いない。
妻が娘を抱っこしその横を缶ビールを飲みながら歩いた。
明かりも無い暗い山道を歩いているというのに妻の足取りはとてもしっかりしていた。
きっとこの土地で生まれ育った妻には盆踊りをしている場所にも見当がついているのだろう。
そんな俺の勘繰りが的中したらしく10分ほど歩くと小さな分校のような建物が見えてきた。
どうやら分校の校庭を会場にして盆踊りがおこなわれている様だ。
のどかな音頭が大音量で流れそれは合わせて沢山の人達が優雅に踊り続けている。
こんなのも良いもんだな・・・。
そんな事を思いながら持っていた缶ビールを飲み干して辺りを見回す。
追加のピールを買いたかったのだ。
しかし残念な事に露店の類は一軒も出ていなかった。
俺は持っていた缶ビールの空き缶をせめて捨てられるゴミ箱がないか?と思い更に辺りをキョロキョロと見回す。
すると急に名前を呼ばれた。
綿貫誠二さんですよね?
こんな見知らぬ田舎で突然名前を呼ばれるとは思っていなかった俺は恥ずかしくも体をビクッと反応させてしまう。
綿貫誠二さんで間違いありませんか?
続けざまにそう呼ばれ振り返ると妻がその声に反応し大きく頷きながら「はい・・そうです」と答えているところだった。
声の主は明らかにこの土地の警官らしくどうやら妻とも面識がある様だった。
いわゆる駐在というやつなのだろう。
その警官はしばらくまじまじと俺を眺めていたがすぐに笑顔になって会釈してくる。
こんばんは・・・私はこの村の駐在所に居る小野辺という者です。
初めてお目にかかりますが帰省ですか?
何か困った事でもあれば何なりとご相談くださいね・・・。
それでは・・・。
そう言いながら再び会釈すると小野辺という警官は俺たち家族から離れて踊りの輪の方へと近づいていく。
うん・・・悪くない・・・いや、かなり居心地がいい・・・。
ずっと都会で働きずくめ俺の頭はかなり疲れが溜まっていたのかもしれないな。
此処に来てからそれが本当によくわかる・・・。
そんな事を考えながらぼんやりと浮かび上がる古い分校の校舎を眺めていた俺は突然の出来事に思わず体が硬直した。
ぎぃゃあー!
ゆっくりとした空気を引き裂く様に女性の絶叫が響き渡った。
絶叫が聞こえた方へと反射的に視線を向ける。
あ・・ぁっ・・・ぇっ!
言葉にならない嗚咽を飲み込むしかなかった。
俺の前で信じられない光景が広がっていたのだ。
先程挨拶してくれた小野辺という警官が燃えていた。
炎は青白く燃え続け全身火だるまになっている警官は全く熱くないかのように固まったままピクリとも動かない。
一瞬マネキンが燃えているのかと錯覚してしまう程に緊迫感の無い光景ではあった。
だがそれに反して周囲の悲鳴や慌てぶりはそれが紛れもなく異様な光景なのだと俺に教えてくれていた。
ただその場にいる誰もが顔を覆ったり叫んだり絶叫したりとしてはいるものの1人として何か行動に移せる者がいなかった。
人は耐えられない恐怖に遭遇した時、肉体が反応できずその場で固まるのだとまざまざと見せつけられたがどうやらそれだけではない様にも見えた。
何か奇妙な力によって身体がその場に縛り付けられている様な不思議な感覚を感じていた。
俺も、そして周りで固まる人達も。
やがて燃え続けていた警官は燃え尽きその場に灰のように崩れ落ちた。
すると今度は別の方向から絶叫が聞こえた。
右前方5メートル程の位置に立っていた中年女性が燃え始めていた。
最初は足だけの炎はすぐに全身へと回りその女性は声を出す事も動く事さえもしなくなった。
時折、体をビクッと痙攣させること以外には・・・。
誰が火を点けてるんだ?
どうして順番に燃えていくんだよ?
そう考えると行きつく結末は容易に想像できた。
いつなんどきこの炎が俺や家族に飛び火してくるかもしれない・・・。
一刻も早くこの場から逃げて妻と娘を護らなければ!
そう考えた俺だったが不思議な体の拘束からは何をしても抜け出せない。
焦りばかりが増えていく・・・。
しかし妻と娘へと視線を向けるとどうやら娘はすやすやと眠ったまま。
そしてそんな娘を抱いている妻は人が燃えている様をぼんやりと、そしてうっとりしながら眺めている様にしか見えず一瞬ゾッとしてしまう。
それでも気を取り直し、何とかして体を動かせるようになって妻と娘を護らなければ!と思い直したその時、目の前が一気に青白くなった。
眩しいほどの光・・・・。
それは1人ずつではなく多くの人達が一気に燃え上がった事による炎の眩しさだった。
一気に恐怖と危機感が増した。
先程とは違い一気に10人以上が動きを停止し声も上げずに燃えている。
もう1人が燃え尽きるまで待ってはくれない・・・。
つまりいつ自分達が燃え始めてもおかしくないという事だった。
しかし体が動かない以上何処へも逃げられない。
絶望しかけた時、俺は自分の体が自由に動かせる様になっている事に気付いた。
考えるよりも早く体が動いていた。
眠ったままの娘を抱いた妻の手を取って一気にその場から走りだした。
そしてどうやら体が動かせるようになったのは俺だけではなかったようだ。
その場にいてまだ燃えていない人達がいっせいにその場から逃げ始めた。
何処をどう逃げれば良いのか分かるはずもなかった。
だから俺は全員が同じ方向に逃げていく人達の背中を追いかけるしかなかった。
何度もつまずき転びそうになりながら懸命に逃げた。
それにしてもこの違和感はなんだ?
俺の前を走っている奴らも命からがら逃げているはず。
それなのにこんなに平然と黙り込んだまま逃げられるものなのか?
いやこいつらだけじゃない。
俺に手を引かれ逃げている妻からも緊迫感も危機感も何も伝わってこない。
思わず背後を振り返り妻の顔を見た俺はこの状況を楽しんでいるかのように薄ら笑いを浮かべている妻の顔を見てしまい軽い吐き気を覚えた。
どれくらい走り続けただろうか?
突然前方に小さなホームが姿を現した。
駅舎も無くぽつんと浮かび上がる白いホーム・・・。
ホームには真っ白な一両編成の電車が停車しておりドアを開けて乗客が乗り込むのを待っている。
ちょっと待ってくれ・・・こんな山の中に駅なんかある筈がないじゃないか?
しかもこんな夜更けにホームで客を待つ電車なんかある筈がない!
そんな疑心暗鬼が頭の中を駆け巡る。
だが俺にはこの電車に乗るという選択肢しか思いつかなかった。
どれだけ怪しくてもどれだけ危険でも家族の命を護るためにはこの電車に乗るしかなかった。
前を走る人達が当たり前の様に電車に乗り込むのを見て少し安心しつつ俺たちも電車へと乗り込んだ。
電車には本当に沢山の人達が乗り込んでいったと思う。
だから1両編成の電車にはきっと座れないだろうと覚悟していた。
しかし車内は混んではいたが何故か俺と妻が座る席だけがポツンと空いていた。
俺達が座るのを待っていたかのように。
俺と妻は横並びに座りようやく一息つく事が出来た。
しかし俺の頭にはまた別の疑念が沸いてきた。
もしかしてこの電車が一両編成なのは逃げてきた人達を過不足なく乗せる為なんじゃないのか?
逆にいえば一両編成の電車に過不足なく座らせるという人数合わせの為にあの場で人を減らしたんじゃないのか?
いや、そんな馬鹿な事がある筈がないじゃないか!
そんな事を考え始めると自分の頭がおかしくなりそうで怖かった。
これ以上余計な事は考えないようにしないと俺の精神が崩壊してしまう。
車内はぼんやりとした明かりが灯り真っ白な壁と赤色のシートがとても悪趣味に感じられた。
そして横顔の妻は相変わらず薄ら笑いを浮かべ目の焦点が合っていない。
また軽い吐き気を感じた俺はすぐに視線を車窓へと向けた。
車窓からは決して多くは無い街の明かりが遠くに見えていた。
電車はレールの上を走っているとは到底思えない様な滑らかすぎる乗り心地でまるで氷の上を滑っているのではないか、と錯覚してしまう程だった。
そして車窓からの景色も遠くの夜景から単なる黒いだけの景色に変わった。
それはまるで真っ暗なトンネルの中を走っているかのように。
何があっても動揺するな!
もっと勇気を持て!
そう自分に言い聞かせて平常心を保つ様にした。
すると次第にずっと感じていた違和感も少しは気にならなくなってきた。
それにしてもこの電車は何処へ向かっているんだ?
いや何処へ行こうと俺は家族を護らなければいけないんだ・・・。
そんな思いを乗せて電車は漆黒の闇を走り続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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