夜逃げ

人生には色んな事が起こる。
良い事もあれば悪い事もあるし最高の時もあれば最悪の時もあるのだろう。
そしてそれは一過性の状態なのかもしれないしどうやっても抜け出せない絶望の結末なのかもしれない。
絶望は人をネガティブにして更に深みへと誘い込む。
それでも人は強いのだ。
立ち直る、いやその絶望から抜け出す為に人生をリセットする夜逃げという選択も悪くはないのかもしれない。
東京にお住いの筑田さんはある意味では人生の頂点を体験した方なのかもしれない。
気まぐれで購入した宝くじが当選した時はまさに最高に幸せな気分だった。
いわゆる数千万という高額の当選・・・。
直ぐに彼はそれまでの人生に仕返しでもするかのように豪華な生活を送り始めた。
高額の宝くじに当たった人には二つのタイプが存在するらしいが彼は質素な生活を堅持するのではなく豪華で贅沢な暮らしに舵を切ってしまったようだ。
最初のうちは本当に夢の様な生活が続いていた。
しかしそんな無防備な生活だったから彼も気付かずに宝くじに当たった事を他人に喋ってしまったのだろう。
気付けば沢山の人が彼の周りに集まってきていた。
ずっと疎遠だった昔の友人や親戚、誰かもわからない人まで・・・。
彼としてもそれらの人達が彼に会いに来たのではなくお金が狙いで集まって来ているのだと容易に想像出来ていた。
しかしその時の彼にとってそれは重要な事ではなかった。
それまで決して他人から求められる事も無かった自分がこれ程他人を引き寄せている。
その状況に酔っていた。
だがその代償は大きく気が付いた時にはリカバリーできない状態にまで切迫していた。
大金持ちが簡単に高額の借金債務者になるのだと悟った最悪の経験だった。
そしてそれからは全てが上手くいかなくなった。
一度容易に大金を手に入れてしまった彼にはもう努力とか頑張るという意志が持てなくなっておりそんな状態では仕事でもプライベートでも何も為せるはずも無かった。
彼としてもそんな事は十二分に理解していた。
しかしどれだけあがいてもその負の連鎖から逃れられなかった。
そして仕事も友達も何もかもが彼から離れていった時、彼はある決心をした。
人生をリセットしよう・・・と。
それまでのしがらみや繋がりを完全に切り、全くの別人として生まれ変わらなければ自分は終わってしまう・・・。
そう思ったのだという。
そう考えた時、彼の頭の中に真っ先に浮かんだのは夜逃げという言葉だった。
それは昔観た映画の影響に違いなかったがもしも本当にあんな夜逃げが出来れば人生をリセットする事も可能だと確信していた。
彼はネットを使い夜逃げ専門の業者を探してみた。
本当にそんな業者なんかいるのか?という疑念の中で。
しかしそんな業者など簡単に見つかった。
それこそ掃いて捨てるほどに・・・。
彼はその中でも最も料金が安そうな業者へ連絡を取るとすぐに下見と見積もりが終わり夜逃げの決行日までが指定された。
彼にとってはそれでも高額に感じた料金だったが下見に来た業者の人間がとても秘密厳守に拘ってくれた事からそのまま契約書にもサインした。
彼は身の回りから出来るだけ自分の痕跡を消すようにして日々を過ごしいよいよ夜逃げ当日の夜になった。
当日には昼間から業者が数人やって来て部屋から運び出す荷物を梱包した。
作業が終わると一旦全員が撤収し夜が来るのを待った。
そうして午前0時を回った頃、再び業者がやって来て手際よく荷物を運び出し1時間もしないうちに全ての作業が終わった。
彼は駅まで送ってもらう為に助手席へと乗り込むと静かにトラックは闇の中を走り出した。
彼にとっては人生初めての夜逃げは驚きの連続だった。
夜逃げ業者は隠れたり音を立てないようにという気配りには全くの無頓着だった。
あくまで全ての作業を当たり前の様にごく自然に行う。
そうする事が誰からも疑われないコツなのだと納得させられるばかりだった。
しかしその夜は明らかに異常だった。
彼が住んでいる所は決して田舎でも過疎地でもない。
東京のごく普通の街だ。
いつもは朝方まで車が行きかい人の気配も朝まで消える事は無かった。
それなのにその夜に限って街には車はおろか人の姿さえ無い。
いや、街全体がどこか薄暗く感じられ生の息づかいさえ感じられない。
それでは街中に動いている者が1人もいないのか?と聞かれればそうではない。
確かに薄暗い街中でも動いているものはあった。
しかも、それはトラックが走っていく道すがら頻繁に現れた。
しかし彼にはそれが人間にはどうしても見えなかった。
まるで黒いヒトガタをしたマネキンがゆっくりと何かを運び出しているようにしか見えなかった。
それらは街中のあき家の中から何かを運び出していた。
ただ彼にはそれがぐったりとした人間を運び出している様に見えてしまった。
な、なんですか・・・あれは?
彼は恐怖のあまりトラックを運転する業者に聞いた。
するとその業者の男はさも当たり前の様に
この仕事をしているとこいつらを見るなんて日常茶飯事ですよ?
何処にでもいるし何ならこれからアナタが新生活をスタートさせる土地にだって当たり前にいますよ・・・。
だからこんな事にいちいち怖がっていたら何も出来ません・・・。
だって人間はいつかは必ず死ぬんですから・・・。
そう言われたという。
彼はその後、遠く離れた土地で再起を果たしそれなりの水準の暮らしを送れるまでになった。
しかし、彼は最近、ある事に気が付いたという。
それはあの夜、業者の男が言ったようにその土地にもあの黒いマネキンがいるという事。
そして今ではそれらの姿が夜だけでなく昼間でも視えてしまう様になったという事。
それらのマネキンは少しずつ彼との距離を縮めてきている。
彼には夜逃げした事と黒いマネキンが関係しているのかは分からないそうだがどうやら今年中に再び夜逃げを考えているそうだ。

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