ホンモノとの夜

一昨年、俺の地元である金沢市で怪談朗読イベントを主催させてもらった。
その際イベント会場や宿泊先で体験された怪異の報告が多く寄せられた。
これから書いていく話はそんな中でも関東からご参加いただいた湯島さんという30代の女性が体験された話になる。
ホテルの立地上、地名もホテル名も彼女が住んでいる県すらここには一切書き記さないがホテルの営業妨害になるという理由からだとご理解いただきたい。
彼女は毎年幾つもの怪談イベントに参加されている。
ただ経済的にそれほど余裕のある生活を送っている訳ではなく遠征費用の捻出が最大の課題なのだという。
近場のイベントだけに絞れれば良いのだがなかなかそうはいかないらしい。
だからイベントの為に遠征し開催地のホテルで宿泊する際には可能な限り安価なビジネスホテルを利用する様にしている。
幾つもの怪談イベントに参加経験があり知り合いも仲間も多いのだから本来ならその仲間達と同じホテルに泊まって盛り上がりたいという気持ちもあるらしいがそんな事をしていたらお金が幾らあっても足りなくなる。
しかし怪異との遭遇率というのは古く汚いホテルの方が明らかに高いのではないか?
よく怪異に遭遇したい、実際に霊を視てみたい、という怪談好きの声を聞くがそれは俺に言わせれば本物に遭遇していないだけなのではないのか?
本物に遭遇してしまったら心臓が痛くなり鳥肌が立ちその瞬間を後悔する事にもなりかねない。
そういう意味でも私的には怪談イベントの際のビジネスホテルは可能な限り新しくきれいなホテルを選び1人きりではなく複数人で宿泊される方が良い。
怪談というものは気が付かないうちに人非ざるモノを呼び寄せてしまうのだ。
中には後悔だけでは済まない場合もありえるのだから。
湯島さんは最初はイベント終了後日帰りで関東に戻るつもりだった。
しかしちょうど3連休の中日であり新幹線も全て満席になっていた。
飛行機という選択肢もあったが無理してその日のうちに帰るよりも出来るだけ安価な宿に泊まった方が体にもお財布にも優しいと判断した。
彼女が予約したのは金沢駅からも片町からもそこそこ離れたビジネスホテル。
交通の便は悪いが連休など関係無く宿泊費が安すぎた。
3連休で既に満室のホテルが多かった中、想定外に安価な宿を見つけたのだからすぐに予約してしまった気持ちも分からなくはないが俺ならばそのホテルの名前を聞いただけで絶対に泊まる事はしないと断言できる。
俺はそのホテルの事はよく知っているしなんならホテル内に入った事もある。
だから断言できるのだ。
そのホテルはヤバ過ぎる・・・・・・と。
そのホテルは明らかに心霊スポットだがマニアは誰も近づかない。
何故なら本当に危険すぎる事をよく知っているから。
5階建てだが既に使用していないフロアが存在するのも嫌なのだがそれ以上に築年数が古く管理しているのもホテルオーナーの老人1人だけ。
繁忙期にはそれなりに部屋も埋まっているのかもしれないが部屋がきれいに保たれサービスが行き届いているとは到底思えない。
過去に何があったのかも把握しているからそのホテルが今でも営業を続け宿泊客に死人が出ていないのが信じられないほどだ。
つまりそのホテルに巣食うモノ達は明らかに生きている者を恨み妬み嫉妬している。
隙あらばいつでも死の世界に引きずり込もうと企んでいる。
だからもしも事前に相談してくれれば絶対に止めていた。
そんなホテルなのだとご理解いただきたい。
彼女がそのホテルにチェックインしたのはイベントが終わり外食で夕飯を済ませた午後9時頃。
迷いながらようやくホテルの前へと辿り着いた彼女はその異様な佇まいに思わず一瞬固まってしまった。
ホテルとは名ばかりの建物は狭い間口に無理やり建てた雑居ビルのように見えた。
コンクリートの壁にはいたる所に亀裂が入り元々は白だったと思われる建物自体も薄汚れたグレーのまだら模様。
しかもいつ頃建てられたのかも想像できない程に建物自体の構造も古く何処がエントランスなのかも直ぐには分からなかった。
何とか入り口を見つけた彼女は乱雑にゴミが積まれた狭い玄関を通りホテル内へと入った。
80歳くらいの老人が簡易なフロントにおり簡単なチェックインと先払いの宿泊費を支払うと愛想も無く部屋の鍵を渡された。
鍵には401という札が付いておりそれに従って4階へと上がっていく。
エレベーターは在ったが故障中の紙が貼られており仕方なく狭く薄暗い階段を上がっていく。
ちょうど2階から3階へ上がっていると10人ほどのおばあさん達のグループとすれ違った。
やっぱりこんな古いホテルでもお年寄りは利用するのね。
そんな事を考えたという。
しかしそのまま階段を上がっていくと3階のフロアにはバリケードのような壁が作られており立ち入る事すら出来ない状態。
4階まで上がるとようやく廊下にも電気が点いており少し安心したが何故か無性に気になった彼女はそのまま階段を上がって5階へと着いたがやはり5階のフロアにもバリケードが作られ廊下の明かりも消えており使われていないのがすぐに分かった。
このホテルは1階は共用部で部屋は無いと説明を受けていた。
つまりこのホテルで稼働しているのは2階と4階のフロアだけ?
でも・・・どうして?
なんとなく不安になった彼女は慌てて4階へと下りると今夜自分が泊まるはずの部屋を慌ただしく探した。
401号室は廊下の突き当りだった。
そして廊下には403~401まで3つの部屋のドアが並んでいる事も確認した。
オートロックとは無縁なドアを古いタイプの鍵を回して部屋の中へ入った。
真っ暗な部屋の入り口に立ち手探りでスイッチを入れると蛍光灯らしき明かりが時間差で点いた。
お世辞にも明るいとはいえない暗い蛍光灯はすぐには安定しないのか僅かに明滅を繰り返していた。
それでも疲れから一刻も早くベッドで横になりたかった彼女はそのまま奥へと進んでいく。
途中にはドアがあり中を確認すると古い和式便所だけがあった。
がっかりしながら彼女はそのままベッドに腰を降ろす。
部屋の中にはホテルの備品とは思えない安っぽいシングルベッドが二つ並んでおりいかにも古そうなエアコン以外はテレビさえも置かれていない。
宿泊代は通常のビジネスホテルと比べても1/3以下。
それでも
自分はどうしてこんなホテルを選んでしまったのか?
と自分を責めたという。
しかしどれだけ考えてもどうしようもない現実に彼女は余計な事は考えないように頭を切り替えた。
疲れてるんだからすぐに寝られる・・・・・・。
寝てしまえば不安なんて関係ない・・・・・・と。
途中のコンビニで買い込んできた缶ビールを荷物の中から取り出して一気に流し込んだ。
そうして彼女は部屋の中に小さな窓がある事に気付きベッドから立ち上がると窓を開けて外の様子を窺った。
ホテルの横には会社らしき別のビルが建っており窓から見えるのはビルの白い壁だけ。
それでもぼんやり見ていると何処からか女の声が聞こえてきた。
待っとって~待っとって~
そんな言葉に聞こえた。
しかしその声が次第に近づいてきているのを感じた彼女はすぐに窓を閉めてしっかりとロックしベッドに座り直した。
なんだったんだろう・・・さっきの声は?
隣のビルとは5メートル以上離れてたのにどうして声が下から近づいてくるの?
いつもビジネスホテルに泊まる時にはよく怪談にあるように、窓に誰かが貼りついていたらどうしよう、と思って何度も窓を確認する癖がついていた彼女だったがその時ばかりは自分の行動パターンを悔やんだ。
怪異は遭遇しないうちはワクワクして楽しいけど本当に遭遇してしまったら不安で仕方なくなるものなんだ・・・・・・。
自分は今まで怪異に遭遇していなかったから怪異を求めていただけなんだ・・・・・・と。
だから彼女は絶対に窓の方だけは見ないようにした。
そんな事を意識してしまうと更に余計な事を思い出してしまう。
そういえばさっき階段ですれ違ったおばあさんのグループは何処の部屋に泊まってるのかな?
5階は使われていないんだから3階から下りてきたという事は4階しか考えられないよね?
4階のフロアには3部屋がありそのうち1部屋は私が泊っている。
そうなるとあのおばあさん達は残りの2部屋に泊まってるという事?
ちょっと待ってよ・・・・・・。
10人以上が2部屋に分かれて泊ってるという事?
そんな事ありえないじゃないの!
そんな事ばかりを考えているとどんどんと恐怖心だけが増幅していく。
彼女は残っていた缶ビールを飲み干すと酔いに任せてさっさと眠る事にした。
ビールでそれなりに酔えたがそれでも恐怖は払拭できず灯りは点けたままにした。
それは先程からずっと窓を叩いているとしか思えないコンコンという音が断続的に聞こえ続けているから。
彼女は窓に背を向けるようにそのまま眠りに就く事にした。
彼女の思惑通り疲れと酔いのおかげですぐに眠りに就くことが出来た。
寝つきのよい彼女は一度寝てしまえば朝まで一度も目を覚まさない自信があった。
それなのに彼女はその夜、不覚にも目を覚ましてしまう。
時計のカチカチという音で目が覚めた彼女はすぐに誰かの息遣いを感じて全身に鳥肌がたった。
近くではないが確かに部屋の中に誰かがいる・・・・・・。
そしてそんな状況の中、自分は眼が覚めてしまった。
金縛りには遭っていないらしく体の自由は利いた。
でもそれが逆にとてつもなく恐ろしかった。
それまで生きてきて実際に怪異に遭遇した事は無かったし霊も視た事など無かった。
だからもしも怪異に遭遇したとしたら為す術も無く必死に眼を閉じて震えながら時間が過ぎるのを待つしかないのだと思っていた。
しかしその時は体の自由は利いていた。
だから逃げなければ大変な事になり下手をすれば命を落としかねないと思った。
心臓の鼓動は耳元で早鐘の様に聞こえ全身に鳥肌がたちまるで自分の体ではないようにすら感じた。
意を決した彼女はゆっくりと窓の方へ視線を向けた。
窓には何者も貼りついてはいなかった。
ただ何故か窓のカーテンだけが揺れていた。
窓は閉めきりエアコンすら点けていないというのに・・・・・・。
変なモノを視たくない!
そう思った彼女は慌てて窓に背を向けるように体を逆側に向けた。
そして彼女は固まった。
隣りのベッドには見知らぬ女が此方を向いたまま横たわり彼女をじっと見つめていた。
ごく普通の洋服を着たごく普通の容姿の女はピクリとも動かず息をしている様子すら無い。
まるでマネキンの様な女だった。
しかしその眼だけはギラギラとした感情で溢れているように感じられた。
女は息をしていない・・・。
それなのに先程から確かに誰かの息遣いが聞こえる。
頭がパニックになっていた彼女だったが本当は怖いがその女からどうしても視線を外す事は出来なかった。
まるで野生の肉食獣と対峙している時の様に目を逸らせばすぐに襲われる様な恐怖を感じていた。
全く生きた心地がしなかった。
そして次の瞬間、その女の眼がカッと大きく見開かれた。
その刹那、彼女の体は無意識に動いた。
ベッドから素早く起き上がるとそのまま一気に入り口のドアへと突進し廊下へと転がり出た。
持ってきた荷物も財布も全て部屋に置いたままだったがそんな事はどうでも良かった。
そのまま彼女は階段を駆け下りると受け付けを通り過ぎ外へと飛び出した。
ホテルから逃げ出した彼女はそのまま外で朝が来るのを一睡も出来ないままひたすら待ち続けた。
その間、頭上からは
ねぇ?・・・ねぇ?・・・
という女の声がずっと聞こえていたが彼女は決して上を見上げる事はしなかった。
そうしてなんとか朝を迎えた彼女は顔を出した管理人の老人に昨夜の出来事を話し部屋から荷物を取って来てくれるようにお願いした。
それからすぐに駅へと向かい少し早めの新幹線で無事に関東へ戻る事が出来たがそれ以来、怪談イベントにはあまり参加しなくなったようだ。
その時自分が視たモノは本当の怪異だったのか?
それは朝になり管理人に全てを話した時の反応ですぐに理解出来たそうだ。
 
何もいないホテルなんてありませんよ?
しかもうちはまだ死人は出ていない・・・。
文句言えるのも生きてたからですよ?・・・と。
 
このホテルには間違いなく本物が棲みついている。
 
 

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