悪魔祓い 前編

これは今から5年ほど前の話になる。
 
日本にもバチカン認定のエクソシストがいるかどうかは俺には分からない。
ただそれなりの規模でキリスト教関係の新興宗教や宗派が日本にも広がっているのだから間違いなくこの日本でも悪魔祓いという行為は行われているのだと思っている。
悪魔祓いという行為自体は否定はしない。
しかし悪魔にとり憑かれ逃げ場の無くなった方からの詐欺まがいのお金儲けのツールとして利用されていない事を願うばかりである。
そんな俺も過去に一度だけ悪魔祓いという行為に立ち会いその一部始終を見た事がある。
それが正式な方法ではなく聖書も聖水も一度も登場する事も無かった悪魔祓いではあったが。
嶋田さんの家は代々キリスト教だけを信仰し続けていた。
日曜日には教会へ家族で出かけミサに参列する。
自分の身の回りで起こる全ての良い事も悪い事も、そして当たり前の事も全ては神の意志によってもたらされた事なのだと信じ、自分を見つめながら感謝し生きる。
それはそれできっと素晴らしい事なのだろう。
心の中に絶対的に信じられる神という存在を持っている人は精神的にもきっと強いのだと思う。
無宗教な俺にとってはある意味では羨ましい限りである。
しかし俺が無宗教である事にはそれなりに理由もある。
それは自分の生き方や思考に宗教というものが立ち入って欲しくないから。
自分の生き方や日常での決定事項はその時の自分なりの考えで決めたいし他人に迷惑を掛けないという最低限のルールを守ってさえいれば自由気ままに生きていたいと思うからである。
それはAさんも姫ちゃんも同じかもしれない。
もしかしたら本当に神様がいるのだとしたら彼女たちならばそれらの力を取り込んで更に強力になれると思うのだが絶対にそんな事はしない。
特にAさんに関していえば過去にはとある宗教で修業を積んだという過去があるが現在ではその宗教とは全く接触すらしておらず其処で学んだ経を使おうともしない。
その点に関して過去にAさんは飲み会の席でこんな事を呟いた事がある。
 
宗教も神様も否定はしませんよ。
ただそれに頼ってしまうとその信仰が破綻してしまった時に取り返しがつかない程の弱さを露呈してしまうんです。
だから私が信じるのは自分だけ・・・なんです。
いえ、人は皆、最終的には誰もが自分を信じるしかないんです。
信仰によって自分を弱くしたくないですから・・・。
この意味、わかります?と。
まあ単なる酔っ払いの戯言だと聞いていたが、飲んでいる時ほどAさんは本心から話してくれる場合が多く何より冷静になってみるとその言葉にも納得できる部分は多い。
話が逸れてしまったが、つまり信仰というものはそれを崩す何かが現れた時、自ら打ち手が無く神にすがる他に術が無いという事である。
そしてキリスト教においては信仰を崩す存在は悪魔という事になるのだろう。
嶋田さんの家族はご夫婦とまだ10歳の一人娘。
3人で大きな豪邸と呼べる洋風の家で暮らしていた。
最初の異変は天井裏からの大きな物音だった。
何かを引き摺るような低い音が夜になると聞こえる様になったそうだ。
次に起こったのは娘さんの体調不良。
とても元気だった娘さんが熱と吐き気でベッドから起き上がれなくなりお粥さえも喉を通らなくなった。
病院に行ったが体には異常が見つからずとりあえず風邪だろうとして薬を処方された。
しかし家で薬を飲んでもいっこうに効果が表れない。
しかも、ちょうどその頃から娘が寝ている部屋から、おぞましい唸り声や呻き声のようなものが聞こえ始めた。
慌てて娘の部屋に行くが娘さんは何も無かったかのようにベッドで静かに横になっている。
それじゃ今の気持ち悪い声は何処から聞こえてきたのか?
そう思いまた1階へ下りてくると気持ちの悪い声が聞こえだす。
どうやら嶋田さん夫婦はその頃から
もしかしたら悪魔の仕業じゃないだろうな?
と疑い始めたそうだ。
それからは怪異の発生頻度とレベルが一気に跳ね上がった。
常に娘さんはベッドで眠ったままうなされる様になり目覚める度に酷く汚い言葉でご夫婦とイエスキリスト、そして聖母マリアを罵り続けた。
その頃になってようやくご夫婦は信仰する教会に相談し助けを求めた。
そして話を聞いた神父が嶋田さんの家を訪ね、工事業者と共に家の隅々まで調べてみる事にした。
そこで判明した事。
それは家の天井裏にはネズミとハエが大量発生しており台所や洗面所の下には大量のカエルが発生していた。
そして家の飼い犬が変死し家中からネズミやカエルの鳴き声が響き渡る様になった時、娘さんの様子も激変した。
その顔は明らかに娘さんの顔ではなく地の底から響いてくるような男のようなどすの利いた声で訳の分からない言葉をずっと喋り続ける様になった。
娘さんが不憫で可哀そうで堪らなくなり抱きしめてあげようとしたご夫婦は信じられない程の凄まじい力によって簡単に弾き飛ばされ、同席していた神父さんに至っては突然何かの力で両腕がボキリと折られそのまま緊急搬送されてしまった。
家の周りには取り囲むように大量のカラスが監視でもするように電線にずらりと並んでいる光景はまさにホラー映画でご夫婦は一連の怪異を「全て悪魔によるもの」と認識し娘さんには悪魔がとり憑いてしまったのだと確信した。
そして、懸命に打開策を探ったそうだ。
しかし嶋田さんというのはもしかしたらかなりの強運の持ち主なのかもしれない。
嶋田さんの親戚の1人がAさんの同僚だったのだから。
同僚に泣きつかれたAさんは仕方なく重い腰を上げるしかなかったそうだ。
Aさんと姫ちゃん、そして俺の3人で事前の打ち合わせがいつもの喫茶店で行われた。
勿論、全額が俺のおごりで・・・・。
そして聞かされた内容に俺は驚愕した。
まさに映画「エクソシスト」を彷彿とさせる怪異。
もしかしたら本物の悪魔祓いというものを目撃できるであろう貴重な機会。
しかし俺は話を聞き終えると躊躇せず口を開いた。
あっ、ごめん。
カエルがいるんなら俺はパスという事で・・・・と。
すると俺の言葉を遮るようにAさんから
「却下ですね。寝言は寝てから・・・って奴ですね。
と冷たく突き放された。
そして姫ちゃんからは
水回りに近づかなければ大丈夫だと思いますよ・・・Kさん?
私もカエルはあまり得意ではないんですけど頑張りますから!
と言われ、俺は渋々同行せざるを得なくなった。
しかし当日は俺とAさんが家の中に入り、姫ちゃんは外からの監視とバックアップという形になるとAさんから告げられた。
えっ、ちょっと話が違うんじゃないの?
姫ちゃんが行かないんなら俺も家の中に入りたくないんだけど・・・。
と文句を言うが、Aさんは聞く耳すら持ってはくれず完全に無視されてしまう。
私は悪魔祓いに集中しなくてはいけません。
その際に使う重たい荷物の運搬とか細かい作業をしてくれるサブがいないと困るんですよ。
リーダーなんだからそれくらい我慢してくださいね。
その後、そんな言葉も掛けられもう逃げられなくなってしまったが、俺がいつからリーダーなんかになったんだよ?
というか重たい荷物の運搬って、どうせお菓子類が詰まったカバンでも持たされるんだろうし細かい作業など過去に一度も任された事など無かった。
近づいてみると更に大きな豪邸に見える家の前に立つとすぐに玄関のインターフォンを鳴らして嶋田さんが開けてくれるのを待った。
しばらく待っていると力無く玄関のドアが開けられたが、其処に立っていたのはもうボロボロに疲れ果てているという風貌のご夫婦だった。
精神的だけではなく肉体的にも疲れ果て何箇所ものケガを負っているのがすぐに分かった。
それから応接室に招き入れられた俺たちはご夫婦から細かい説明を聞いた。
一通りの経過を聞き終えるとAさんが口を開いた。
それで・・・どうしたいという事なんでしょうか?
娘さんを助けられれば家や自分たちの身が壊れても構いませんか?
それとも・・・・。
そう言いかけるとご夫婦はAさんの言葉を遮り、こう話し出す。
娘は私達の宝です・・・全てなんです。
娘が助かってまたいつもの平穏が娘に訪れるのならそれに代わる幸せはありません。
家でも車でも、そして私たちの命でも必要なものは何でも自由に使い壊されても構いません。
勿論、祓えた時にはどんな大金を請求されても必ずお支払いします。
娘が助かるのなら!と。
それを聞いたAさんは少しだけ微笑んで
分かりました。それが聞けて良かったです。
謝礼は必要ありません。
ただ今回の相手は掛け値なしにヤバイ奴みたいですからこの家も壊してしまうかもしれません。
本当に悪魔なのか、それとも別の何かなのかは今の私にはまだ判別が出来ていません。
そもそも私は本当の悪魔って奴と対峙した事はまだないので・・・。
でも、危険極まりない相手というのだけは保証します。
だからあなた達ご夫婦は今すぐこの家から外へ出てください。
足手まとい以外の何物でもありませんから。
でも、安心してください。
外では私よりももっと凄い子がしっかり護ってくれている筈ですから。
ですから急いで外へ出てください。
それからが本番になりますから。
とご夫婦に声を掛けた。
その言葉を聞き、ご夫婦は
本当にお願いします。あなただけが最後の希望なんです。
どうか娘の平穏を取り戻してあげてください。お願いします。
そんな言葉を繰り返しながら重い体を引き摺るようにして玄関から出ていった。
リビングに残されたのは俺とAさんの2人だけ。
そして家の中には息が詰まるほどの重苦しい空気が漂っていた。
重い空気に耐え切れずについ口を開いた。
「あのさ、Aさんって悪魔祓いも出来たんだ?正式にバチカンで修行したりエクソシストとして認定ももらってたりするのかな?」
俺がそう聞いてからはAさんと俺との不思議な会話が続く事になった。
「えっ?なんでそんな事聞いてくるんですか?」
「いや、だってさ。悪魔って聖書とか聖水とか使って相手の悪魔の名前を白状させる事から始まるんだよね?
それからキリストや聖母マリアの力を借りて悪魔を体から追い出したり倒したりするんじゃないの?
だとしたら最低でも聖書の一節くらいは憶えておかなきゃいけないんじゃないの?」
 
「そうなんですか?
まあ私にとっては関係の無い事ですけど・・・。
でもその理屈でいけば世界中の怪異を相手にしようとしたら大変ですよ?
全ての宗教や宗派の教えを学び解脱して経典を全て覚えなきゃいけないんですから。
それにその国の言語も・・・。
それに日本だけでも大きいのから小さいのまで数えきれない程の宗教や宗派がありますよね?
だったら現実問題としてそんな事は不可能なんじゃないですかね?」
 
「でもさ・・・今回のが本物の悪魔だとしたら悪魔に名前を白状させて聖水や聖書を使った娘さんの体から悪魔を追い出すというやり方は絶対に必要になると思うよ?」
 
「そうなんですか?Kさんにしては珍しく詳しいんですね?悪魔に関しては・・・。
でもその情報って何処から得たものなんですか?
まさか映画とかドラマとか漫画とか・・・なんていうオチは無いでしょうね?
それにそれだけ詳しいのなら聖水とか聖書くらいは用意してくれたんですよね?」
 
「いや、俺は特に何も用意してないから・・・。だって別に俺が悪魔祓いをする訳じゃないし・・・。
それにAさんだって映画のエクソシストとか漫画とかは見た事があるでしょうが?」
 
「いいえ、私はそういうのは一切観ないのはKさんも知ってるでしょ?
確かに悪魔という存在がこの世にいて・・・という思想は理解してますけどね。
でも、それだけです・・・・他の知識はありません。
まあ、案外、未確定な知識なんか無い方が良いのかもしれませんけどね。
事前の知識は恐怖や油断を生み出しますから・・・。
それって最悪の場合は命取りになっちゃいますからね・・・。
あっ、ところで情報といえばなんですが・・・・。
いつもよく行く洋菓子店で幾つか新メニューが並んでいるのを見たんですよね。
そういう情報って大切だと思いますよ・・・私は!」
 
と完全に話しが逸れていくのを感じた俺はその時点でひとり黙り込んだ。
相変わらず緊張感の無い奴だ・・・・と。
 
と、次の瞬間、俺の体は大きく揺さぶられる事になった。
屋敷全体が大きく振動しゴゴゴッという大きな音とともに屋敷全体が
エレベーターの様に沈んでいく感覚をおぼえた。
そしてまだ昼間だというのに窓の外は一気に暗くなり照明無しでは身動き
も取れないほど。
急いで照明を点けようとした刹那、家中の明かりが灯った。
いや、照明というよりももっと頼りないゆらゆらと揺れる松明のような明かりが・・・。
俺は何もしてはいない。
勝手に家中の明かりが灯ったのだ。
嫌な予感と冷や汗しか出てこなかった。
そんな俺など気にもせずAさんはその場でゆっくりと立ち上がり
「なんか呼ばれてるみたいですね・・・行きましょうか・・・」
そう言って廊下へと続くドアの方へと歩み寄った。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?