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語学の上達に必要な資質とは

Xで、GW英語音読祭り というイベントに参加した。指定されたお題を音読して、その録音を投稿するという単純なもの。

実際のお題

これがすごくよかった。

こういう機会を積極的に活用し、自らの拙いアウトプットを晒す勇気があるか。英語学習のみならず、グローバルで活躍していく上でもとても大事な姿勢だと感じる。

最初は友人の面白そうな企画ということで、軽い気持ちで乗っかっただけだった。でも実際に録音してみると自分の発音がとにかくひどい。TOEIC満点(「元」満点かw)とか偉そうに言っている中で、とても恥ずかしくて公開できるような代物ではない。

そこから、テキスト全文を読み上げサイトに入れて何度も聴き、little、pursuit、hearts、world のイギリス発音を確認し、diverseは ディor ダイ どっちなの?、belovedは正しくはビラヴィッドだったのか!(これは事後に判明)などなど軽く3時間ぐらい費やした。

その上でテンションを上げてみたり、スピードを変えてみたり、あーでもない、こーでもないとTake 30ぐらい繰り返して、ようやく及第点(というかこれ以上は今の実力では無理!)と言えるところまで持っていって投稿。

それでも後で聴くと全然ダメなのだ。一体自分は何年英語をやってきたんだと残酷な現実に打ちのめされるけど、その悔しさがまた次の学習へのモチベーションになる。何よりも、やる前とやった後では明らかに成長している実感がある。

ここで言いたいのは、きれいな発音が大事とかそういうことではない。「インプット⇒アウトプット⇒絶望⇒インプット・・・」、このサイクルを自分自身で回せるかということ。

加えて、そこまでこだわるか?という しつこさ があるか。これらが長期的に語学で突き抜けられるかどうかの分水嶺になると思う。少なくとも僕が知っている達人たちはみんなこういった "狂気" を持ち合わせていた。

そして実際にやってみるとわかるけど、恥ずかしいのは一瞬だけ。そもそもそんな細部まで気にしているのは自分ぐらいのもので、みんな人の発音なんかにそこまで興味はない。であれば尚更、こういったお祭りには乗っかってしまい、外圧を利用して力をつけてしまうに限る。

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。

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