忘れられないランニング

僕がランニングをはじめたのは33歳になったばかりの5月。今から10年ほど前。場所は当時近所の荒川河川敷。
きっかけは何だったか...すごく特別なことがあったわけではない。散歩でもいくかって感じで走り始めた。はじめは2キロほどだったか。
次の日も走った。そして今も走っている。
何で?なぜ走るんだ?
当時の自分の本音を言うと、何かから逃げるように走っていた。
仕事から、家族から、自分から...
33歳の僕は、仕事を一通り覚え、家族も増え、20代半ばから自分なりに全速力で突っ走った結果が出始めていた時期でもあった。毎日生きているだけで頭と心を使う。心を使うという言葉が適切か分からないが、特にコミュニケーションが上手でない僕は心を使いがち。そして頭と心の器が小さ目にできている僕の心身はここらで小休止を求めていたのだろう。ちょっと止まるか、もしくは逃げるか。実際どっちを選ぶにも勇気がいる。
そんななかどっちも選ばず、ランニングがしれっと目の前に現れた。大げさに言えばランニングに救われた。簡単に言えば逃げ場ができた。
僕にとってランニングは「無」になれる行動。積極的無。頭はすっきりするし、心も少し上がる。走った後に感じる気持ちのよい痛み。非日常。
run away. escape.
これが僕のランニング初期衝動。衝動ってほどでもない。劇的なはじまりでもない。むしろはじまってもいないかもしれないし、すでにはじまっていたもしれない。

少し話は変わる。
これだけ日常的に走っていると「何で走っているの?何を目指しているの?」と聞かれることがよくある。悪意はないのだろうけど、ちょっとかちんとくる。何も目指してないし、ただ楽しくて気持ち良いからというのが本心。まあもう少し緩めて照れながら答えてはいるけど。
何かにつけて「目指す」や「意味」をつけたがるのはよくない。人とは違うこと、アホなこと、なんとなく普通なことでも「何かをやろう」としている人は尊敬する。みんなライトに尊敬して応援すればいいと思う。

また少し話は変わる。
昨日見たテレビ番組「第99回欽ちゃんの仮想大賞」には感動した。たまたま視聴したのだが、最初から最後まで見てしまった。娘と息子と大笑いして見た。そして感動した。
司会の萩本欣一、香取慎吾、審査員のオードリー若林、滝沢カレンetc、そして出場者。みんながこの番組への愛があり、失礼な言い方かもしれないが真剣にアホなことをしている姿、そして愛のあるコメント。たぶん相当な時間を使って準備したんだろうな。センスある作品、泥臭いアイデア。
そして第100回仮想大賞に応募したいと僕の隣で娘はつぶやいていた。うちの娘ならやるかもしれない。リスペクト。

ということで次回は、忘れられないランニング2。たぶん。




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