甲陽吾妻流
一昨年の月刊秘伝より
割田下総、唐澤玄蕃………
などなど、吾妻の忍び上手達は実在したわけです。
私の先祖は彼らの駆使した斥候・夜討・局地戦術を「甲陽の兵法」と言って大切にしていました。
去年紹介した「吾妻流」は、そういった内容を基に、私の知りうる限りを再編成したものです。
ですから、新編武芸とも言えます。
しかし、内容としては古いものも遺されていると自負しています。
実際二代目唐澤玄蕃などは、武田信玄公の覚え愛でたく、若き日を甲陽に遊んだと言われています。
私は「甲陽の….」と言ったのは、甲軍と深い緣の出浦、唐澤、祢津氏らの影響ではないかと考えています。(吾妻に於いて伊与久氏は彼らの下に居りました。)
それらは後に(当時からか?)修験の集団の中に於いて練磨されたようです。
歴史学ではなかなか証明出来ないところですが、真田忍者を巡るロマンある伝承として、私どもとしては注目していきたい情報です。
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