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書評「どぐら綺譚」

今日は読者デイ。

「どぐら綺譚」は松本健一氏の本。
今は増補・新板で「どぐら綺譚・魔神伝説」と言うタイトルで勁草書房から発売されているのが入手し易い。
彼の取り上げるテーマ、人物は不思議と私達一党と関係が深いように思えて、以前から何度と無く読み返している。

著者が群馬の出、と言うのも大いに関係あると思うが、高山彦九郎大人を始め、真木和泉、中居屋重兵衛、頭山満、北一輝………

彼の言葉を借りるなら「魔人」の系譜というべきものだ。彼は高山彦九郎の精神を、高山を追って屠腹した志士、土倉久兵衛に見る。奇術を善くした土倉の名が、後の奇書「ドグラ・マグラ」に連なっていくとは、驚くべき想像力だが、じっさい奇術のたぐいをドグラ・マグラと言う地方があったらしく、見えない糸をまさぐるような氏の取材にはやはり魔的な力を感じる。

夢野久作といえば幻想文学家としての側面のみが知られるが、「百魔」を著した日本のフィクサー、杉山茂丸翁の下に生まれ、インド緑化の父・杉山龍丸の父として、やはり「魔」に魅入られた人物だったのかも知れない。

ここで「魔」と言ったものは、決して基督教的「悪魔」では無い。見果てぬ夢……とでも言おうか、その様な消息に一命を笑って投げ出すような痴れたる者たちの系譜を評して「魔」と呼んでいるのだろう。

そういう意味で言うならば、わが始祖鎌倉権五郎、畠山重忠、新田義貞公を始めとして、お慕いして已まない武田信玄公や、その精神を受け継いで戦い抜いた真田様も、この「魔」の系譜中の嚆矢たるものかも知れない。

また私達の尊敬する東海由比正雪翁や土佐の谷秦山翁もそうなのだろう。

捨てて生きる、新陳代謝の顕れのような彼らの存在は、三度の飯を心配し、寒風に中っては咳を怖れ、日々の無事を只管祈るのみの、我らの胸をざわめかせる。魔とは禍津日神の御霊を受け継ぐ者達の流れなのかも知れない。

…………な〜んて耳障りの良ろしくない、コムツカシイこと、スピリチュアル好きな方には嫌かもわかんないね✨ごめんしておくれやす🙏

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さて、沢山のキクイモをチップにして食べましたよ。こりゃポテチより遥かに美味いね。残りはお茶にして、血糖値が上がらないように〜😁

うん、私ゃ魔は魔でも、魔神ブーくらいのもんやね。まーまーボチボチで寝ますワ(つ∀-)オヤスミー

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