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掌如蘭花

上海の師父は、若い頃は華拳門・蔡鴻祥老師の武術隊の運動員として各地の比賽で活躍していたが、中年以降は楊氏太極拳傅鍾文老師門下の女流太極拳士としても有名だった。

では、本門の姜氏八卦掌は?と言うと、姜容樵師爺在世の時、師父自身が八卦を演じることも、収徒をすることもなかった。

師父はあくまでも師爺の教導を扶ける徒児の立場を堅持した。

晩年師爺は失明。
その前後から実質師父が教え、学生は二十倍にも増えた。
教え方が先進的で、動作に華があったので鄒老師に八卦を学ぶのが多くの青少年の憧れだったらしい。

会計や運営凡てを師父が取り仕切り、その利益は全て師爺に献じ、一分銭も私しなかったのは、知るひとぞ知る上海老武林の佳話である。

革命政権下の厳しい時代の姜氏門を支え続けた大恩人として、姜氏の一族は師父を家譜に「老前輩」として銘記し、今に至っても忘れることはない。

そんな師父が、初めて公の場で八卦を演じたのは虹口体育場の武術大会にて。
殆ど全盲の師父・姜容樵の手を引き登壇するやいなや、瞬く間に二人は老若二条の活龍のごとく躍動し、満場は拍手と快哉を叫ぶ声で包まれたと言う。
後に上海体育委員会の乱手門・何炳泉老師は「出藍之誉」と口を極めて讃えた。

森陰にひっそりと咲く花も、時至れば芳香を放ち、道行く旅人にその在りかを告げる。
蔵龍伏虎の上海武林のなかに、一輪の蘭花が華開いた瞬間なのだと、旧上海を知る老人たちから聞いたことがある。

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