つくること、たたかうこと。
自分は建築をつくるとき,いったい誰のために設計しているのか.
きっと依頼してくれる,出資してくれるお施主さんのためではある.
お施主さんの願いをより良いカタチで実現するのが設計者の仕事である.
そのためには,たたかわないといけない時がある.
建築をつくるには,複雑な関係性を孕みながら,想像以上に多くの人々が関わる.ときにそんな関係各位からは,各々の都合による(身勝手で理不尽な)要望が,ぽつりぽつりと上がる.
それを一つ一つ鵜呑みにすることは,お施主さんと目指した未来を遠のかせてしまうことがある.
もちろん建築は一人ではつくれない.多数の関係者あっての建築であり,関係者は皆,それを実現するための“仲間”でもある.
それでも時には,たたかわない(主張しない)といけないときがある.
その先にいいものをつくりたいのならば,時には強く,主張できる設計者にならないといけない.誰かに迷惑はかけてでも,誰かのためになるならば.
そんなことを考えると,平和ボケした自分には設計の仕事は向いていないのかなと思ったりもする.それでもきっと,設計に限らず“つくること”とはそういうことで,自分(達)の意志をどれだけ強く持ち,実現に向けて動けたかが,最後にカタチになって現れるのだろう.
“みんなのため”が一番よくない.
建築にしても,まちづくりにしても,社会や国家にしても.“みんなのため”は聞こえだけいいようで,結局は誰のためにもならない.“みんな”なんて人はいない.“みんな”とは一体誰なのか.
そんな上っ面だけの“みんなのため”につくるのではなく,
自分は必要としてくれる人のために,つくれる人になりたい.
髙橋広野
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