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里山暮らしはやめられない       田畑に癒されて(前篇)

圧倒的な体験

私が畑仕事を始めたのは、やはり飯舘村へ移住してからだ。飯舘では亡夫彰夫さんが「自然卵養鶏」といって、自家配合の発酵飼料と草などの緑餌で育てる平飼いの養鶏を生業としていたので、良質な鶏糞がふんだんに手に入り肥料にしていたので、大きなカボチャがごろごろ生り、太い大根などもできた。
ここよりも飯舘村の家の方がよほど山奥にあったのだけれども、震災前はなぜか野生動物の被害は全くなかった。なので、畑を囲う必要などなかったのだ。震災後は、避難解除になっても帰還する人の方が少なく人口が減り、畑をやっている人も減り、避難中に増えてしまった獣に荒らされてしまうようになったと、FBに飯舘村の知人が投稿しているのを読んだけれども。

飯舘の畑は家から少し離れた南西を森で囲まれた場所にあり、そこでひとりで畑仕事をしていると、自分の存在が自然の中に溶け込んでいき、輪郭があいまいになるような、そんな体験をした。都会で暮らしている時は常に世界と自分は分断されていて、家の中だけが自分の世界で、一歩外に出れば疎外感を感じることが多かったように思う。

自然は私を拒絶しなかった。厳しくもやさしく私を包み込んでくれたのだ。それは私にとっては圧倒的な体験で、その後今に至るまで里山暮らしを続けている原動力になっているように思う。

土地が変われば

避難生活の間は、その気になればできないこともなかったけれども、畑仕事は一切やらなかった。そんな心の余裕は全くなかったのだ。こちらに来てから一年目はやっていなかったので、7年のブランクを経て4年前から畑仕事を再開した。
こちらは畑を囲わなければすべて食べられてしまう。イノシシ、カモシカ、日本鹿に加えて、タヌキ、ウサギ、ハクビシンなどの小型動物もいる。

畑を始めるためにはまず、ワイヤーメッシュで畑にする場所を囲うところから始めなければならない。そして、我が家は耕作放棄されてから久しく、ススキが生えて大株になってしまっているから、それを掘り起こし、家庭用の小型耕運機で耕して畑自体を作らなければならなかった。

毎年一ヵ所ずつ増やして、現在は3か所の畑がある。
一年目は我が家の真裏の石垣の上の場所をハーブガーデンと畑にするべく開墾。ハーブをいろいろ植えてみたけれども、梅雨を越すころには雑草と湿気にやられて多くが腐ってしまった。ルバーブ然り、飯舘では順調に育ってくれたものが全く育ってくれないのだ。土地が変わるとこんなにも違うものなのかと愕然とする。
その中でも、フェンネル、アップルミント、オレガノ、ベルガモットは根付いている。それだけでも、料理、お菓子の飾り、ハーブティーといろいろ使える。溝を切って水はけを良くしてみたり、昨年で3回目の挑戦をしたけれどもやはり上手くいかず、さすがに他のハーブをここで育てるのは諦めて、一番乾燥している南斜面にいつかハーブガーデンを作り直したいと思っている。自然相手の畑仕事は諦めることと、別の場所でやり直すことが肝心だ。

芋煮会

南東に連なる棚田の一番上にある溜池の真下の一枚は2年前に畑にした。水が必要なサトイモやナスなどを中心に育てているが、昨年はナスとピーマンはイマイチだった。雨が多すぎて畑が水に浸かってしまったのが原因かもしれない。
サトイモは小さいけれどもたくさん収穫できた。トロ箱に土を入れてそこに埋め込んで保存すれば、6月まで保存できて、残っていたもので芽が出ているものを種イモにしている。
自然栽培の本に、サトイモは化学肥料で作られ市販のものと、堆肥や無肥料で自然栽培したものとでは一番大きな差が出るとあったのだが、まさにその通りで、別のイモかと思うほどおいしい。
本で確認したら、連作はできないとあり、連作したために小さいものした収穫できなかったようだが。

紺屋ラボ 芋煮会の様子

昨年の3月から、この場所の江戸時代から続く屋号「紺屋」に因んで「紺屋ラボ」という活動名で、主に愛知県方面から若い人たちが来て、私たちが日々行っている里山暮らしをともに体験する会を、真夏と真冬を除いた月2回のペースで行っているのだが、昨年末最後の会は、このサトイモをみんなで掘って、懐かしい東北の秋の風物詩「芋煮会」を行った。福島で何回か経験があり、楽しい思い出があるのだが、サトイモを掘る所からやったのは初めてだった。
小さいものが多くて、担当してくれた人たちは洗うのも剥くのも大変だったと思うけれども、苦労した甲斐のあるおいしさでみんな大喜びだった。これは毎年恒例にしようと思っている。
今年は連作を避けて、日当たりの良い手前の畝に植えようと思う。去年はやらなかった土寄せもしっかりやって、大きなサトイモが収穫できるようにしたいものだ。

ウサギだよ!

昨年は、我が家で一番日当たりの良い東斜面を畑にして、ジャガイモとかぼちゃと、初めて大豆を栽培。ジャガイモは大成功だったけれども、かぼちゃは今回もイマイチ。肥料不足なのかもしれない。
大豆は順調に育っていたのに、実が生り出したころから毎日少しずつ葉っぱだけが食べられるようになってしまった!葉っぱを丸坊主にされると実は育たないのだ。カモシカのせいに違いないと思い、Tさんがワイヤーメッシュの上に1メートルくらいの竹の支柱を建てて、網を巡らせた。けれども、治まらない。捕獲器を買って犬の餌を入れて設置してみたけれども、何日経っても何も捕まらない。

そこに、注文していた梨を届けに、隣の市で農業をやっている友人のともちゃんが再び登場。大豆の食害の様子を伝えたところ、「ウサギだよ!」と断言。ともちゃんのところの大豆も悉く食べられてしまい、センサーカメラを設置して犯人を調べたところウサギだとわかったのだそうだ。道理で、捕獲器に犬の餌を置いても捕まらなかった訳だ。
我が家の周りでウサギを見かけたことが全くなかったので、思いもよらなかった。奴らは夜間に行動しているから昼間出会うことはないのだった。

大豆は全滅していなかったから、網をワイヤーメッシュの周りにも張り巡らし、地面に垂らした部分には草を置いて完全防備したら、もう葉っぱを食べられることはなくなり、来年の種用と煮豆にするくらいは収穫することができた。
大豆畑をもっと広げて、収穫した大豆で手前味噌を作るのが私たちの夢だ。

いのち溢れる場

私はいつも畑仕事をやるときは料理を思い浮かべながらやっている。実が生って収穫するときも料理を考えながら収穫する。畑とキッチンは直結しているのだ。
ここで畑を始めて4年目の昨年は、二人で食べるのは充分な野菜が採れた。中でもきゅうりとトマトは大豊作だった。きゅうりはピクルスにして、トマトはソースにしてビン詰めにして保存した。トマトは秋になると赤くならずに青いまま畑に残されてしまうのだが、今年は青いトマトをたくさん収穫して「青トマトジャム」にもした。それがフルーツかと思うほどの美味しさなのだ!

青トマトジャム

それまでは夏野菜しか作れなかったのだが、昨年秋はようやく大根、白菜、玉ねぎを植えることができた。白菜は直播して防虫ネットをしたけれども全部食べられてしまい、買ってきた苗を植え直したけれども、時期が遅すぎて5株中2株だけがなんとか結球。小さいけれどもおいしい白菜を食べることができた。玉ねぎはひょろひょろ状態のままで、厳冬期を枯れることなく過ごしている。そろそろ追肥をしなければ。こんなひ弱な苗が本当に玉ねぎになるのかは怪しいけれども楽しみだ。

畑仕事は自然が相手なだけにうまく行かないことも多い。化学肥料も農薬もビニールマルチもビニールハウスも使わずに、肥料も生ごみ堆肥と薪ストーブと薪風呂から出る木灰のみでやっているから尚更だ。雑草も相変わらずの勢いではあるけれども、作物の周りだけは草取りをできる限りして、雑草を刈っては野菜の周りに敷き詰めて草マルチとして利用することで、雑草と共存する野菜作りも実現できつつある。

Tさんはそれが美しいのだと言うのだけれども、私は草の中に作物が生えているという状態をなかなか美しいとは思えなかった。畑を作ってすぐの年は草の勢いが強すぎて作物が負けてしまっていたから余計に思えなかったということもある。
けれども、二年目からはTさんが、新芽が出る前に枯草を燃やすことで発芽を抑制するようにしたため、草も最初よりは減ったこともあり、今は草と作物が良い状態で共存していて、美しいなあと思えるようになった。

何よりも、我が家の畑は、様々な昆虫たちが暮らし、蜂も蝶も飛び交い、大好きなカエルたちが度々やって来るいのち溢れる場になっていて、そこで畑仕事をすることはなんとも心地よいのだ。


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