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里山に生かされて           はじめに

だから書くことにした

書きたい、書きたいとここ数年ずっと思ってきた。
でも、なかなか書き出せずにいた。
今日、ようやくその一歩を踏み出すことにした。

なぜ書きたいのかといえば、書いて伝えたいことがたくさんあるからというのが一番の理由だけれども、もうひとつは書くことで自分の人生に納得したいということもある。

私は岐阜県恵那市飯地町という、標高600mの山の上で暮らしている。
ここに移住して5年が過ぎて6年目に入った。田舎暮らしはやることがいっぱいあって、毎日忙しい日々を送っている。また高齢者の憩いの場や学童の手伝いの仕事をしたり、町の交流サークルで活動したり、楽しく充実した毎日だ。
それなのに、ときおり、自分は何もやっていないという思いが沸々を湧き上がって来て、落ち込んでしまうのだ。

現在56歳。3月で57歳になる。39歳のときに結婚したけれども、夫は癌で3年弱で逝ってしまった。子どもはいない。今はパートナーと暮らしているけれども、結婚はしてない。
「これまで何をしてきたのですか?今何をやっているのですか?」とよく聞かれる。
その度に、言葉に窮し、「言えるほどのことを何もやってきていないし、今もやっていない」と自嘲的に答えることしばしば。子どもを産み育てるとか、仕事でキャリアを積むとか、何か肩書のある仕事をするとか、そういう言葉にできることを何もやってきていないからだ。

私のこれまでの人生は、他の人に比べれば波乱万丈だったと言えよう。その人生をなんとか生き抜いてきて、ようやくこの場所にたどり着き、ほっと一息ついた途端に、自分が50歳を過ぎてしまったことに愕然として、「何もやっていないのに50歳を過ぎちゃった」とものすごく落ち込んでしまったのだ。二年間くらいは心身の不調が酷く、ようやく少しずつ良くなってきているところだ。

どの時代にどこの国で、どの家族の元に生まれるのかを人は誰も選ぶことはできない。私たちは生まれさせられたこの人生を生きるしかないのだ。どんな運命も受け入れる以外に道はないのだ。60歳も目前の私にはこんなことは嫌と言うほどわかっている。わかっているのにどうしようもなく、「こんなはずじゃなかった」と思ってしまうのだ。往生際の悪さに自分で自分に呆れてしまう。もうこれは、これまでの人生、今の生活について自分で書いて自分で納得し、受け入れる以外はない。だから書くことにしたのだ。
果たして書いたら納得して受け入れることができるかどうか、書いてみなければわからない。

里山で暮らして17年

私の出身地は名古屋。2004年に結婚を機に福島県の飯舘村に移住して、夫を3年弱で喪いひとりで4年間暮らし、2011年に震災原発事故に被災し、5年半、福島市飯野町という飯舘村から車で40分ほどの内陸にある町で避難生活を送り、この場所に移住した。避難先の家も阿武隈川の崖の上の里山に在ったので、里山暮らし歴17年になる。

福島からこちらに移住するとき、職場の同僚からは「これから歳を取って行くのに、どうして名古屋に帰らず、わざわざまた不便な山奥へ行くのか?」と不思議がられた。確かにその通りだと思う。けれども、私には里山で暮らす以外の選択肢はないのだ。

都会生まれ、都会育ちの私が、なぜ里山に移住し暮らし続けているのか。そのことを、私の人生に多大な影響を与えた三つの出来事を中心に振り返りつつ、『里山へ至る道』というタイトルで書き綴りたいと思っている。
震災の体験は『福島 飯舘 それでも世界は美しい』という本で書かせてもらったけれども、本を書いた後に起こったことで書きたいことがまだあるので、それも合せて書いていきたい。

里山暮らしを伝えたい

我が家は江戸時代から9代続いていた場所を引き継いで、築80年の家をリノベーションした。古い石垣が残る棚田が目の前に広がり、その奥は人工林が広がっている。棚田は耕作放棄して久しく荒れ果てているけれども、山野草と蛙やトンボなどの小さな生きものたちの楽園だ。
金毘羅山という山の中腹にあり、山の上には金毘羅神社がある。おそらく金毘羅神社と言う名になったのは明治以降のことで、岩が円形に並んでいる場所があることから、古代から神に祈りを捧げる「イワクラ」があったのではないだろうかと思う。

里山暮らしは本当に豊かだと私は思う。都会で暮らしていた時はこんなにも豊かな世界が田舎にあることを知らなかった。
我が家は薪風呂、薪ストーブの薪暮らしをしている。薪暮らしをしていることが近所に伝わっていると、伐り倒した木をもらえることがしばしばある。薪風呂は廃材でも大丈夫なので、大工さんの友人知人から頂くことができる。だからほとんどタダだ。
水も山水を引いているのでタダ。ポンプの電気代が少しかかるけれども。
春は山菜がいっぱい。夏から秋は畑で野菜を収穫。
我が家にはあまりないけれども、周辺の家々には果樹がいっぱい植えられていて、梅、いちじく、柿などをたくさん採らせてもらって、梅酒やジャムや干し柿など、保存食をたくさん作ることができる。
そんな豊かな里山暮らしについて、『里山暮らしはやめられない』というタイトルで、薪暮らしについて、畑や庭や森のこと、里山の生きもの、我が家の犬猫たちのことなどを書きたい。

考えてみれば、私がこの場所でやっていることのほとんどは食に関わることだ。都会にはおいしいものがたくさんあるけれども、ほんとうにおいしいものは里山にこそあると思う。
昨今は「時短料理」が大流行り。いかに早く簡単に作れるかということが大切にされている。主に家事を担っている女性たちが、子育てに仕事にほんとうに忙しい中で料理もしなければならない現状ではそれは当然だろう。
けれども、作る、収穫する、加工する、保存する、料理するという食べものを手に入れるため営みは、本来大変手間暇かかることなのではないかと思う。
そこで、里山の恵みを頂いて作る保存食、料理、お菓子作りなどについて『手間暇かかる食べもの』というタイトルでレシピも含めて伝えていきたい。

夫が急逝した後も、震災原発事故後の避難生活の際も、人生の岐路に立たされたとき、私は書くことで生き抜いて、生き直すことができて来たように思う。
今回書くことで何が起こるのかはわからない。
けれども、とにかく、一歩を踏み出してみることにした。






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