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しくじり聖者・ガンディー ポンコツ過ぎる弁護士時代

・引っ込み思案な幼少時代


1886年 / 17歳

晩年、もの凄い人数の前で原稿なしで二時間の演説ができたガンディーだが、幼少期から青年期にかけては恥ずかしがり屋で引っ込み思案で人見知りだった。
四男の末っ子で、成績は優秀で実家も裕福だった。
インドでは馴染みのカースト制度では、ヴァイシャと呼ばれる裕福な庶民階級(商業や製造業を営める)の出自だ。
お父さんも地方行政の大臣ポジションを代々勤める家系の長男だったから、ちょっとしたボンボンだ。
お母さんはとても敬虔なヒンドゥー教徒で、その影響も強く受けている。

ここでヒンドゥー教について俺なりに注釈を加えると、インド人がインダス川で沐浴を行なう際、恐らくは死者とか糞尿とかだって流したりしてるから、めちゃくちゃ汚いと思うんだが、それに浸かることによって「貴方も私も皆同じ」っていう概念を強烈に叩き込むんだと思う。
その割に、カースト制っていう身分制度で区切ってくるが、その辺りは魂の練度によって、真理の悟り具合が違ってくるんだという理屈で片付けている。
最高位のバラモン(僧侶)は、「輪廻なんてない」って悟っているんだが、下位カーストを頑張らせる為に、「魂を磨いて輪廻すれば、いずれ上に行ける」と方便を用いている…らしい。俺が聞き囓った話だし、話半分に受け止めてくれ。

子供の頃のガンディーは、煙草を吸う為に使用人から金を盗んだり、ヒンドゥー教では肉食を禁じていたのに肉を食ったり、両親が知ったら卒倒するレベルのやらかしをしていたようだ。
だがしかし、良心というものも強く兼ね備えていて、使用人から金を盗んだ後、めちゃくちゃ反省して、父親に手紙で懺悔する。
すると父親も、「よくぞ打ち明けてくれた」と、優しい反応をし、悪いことをしても言った方がいいんだなという原体験をすることになった。


・十三歳で結婚! 妻軟禁!!

幼児婚と言われているが、当時のインドとしては普通だった。
奥さんはカストゥルバーイという人だが、ガンディーの『妻は夫を支えるべきだ』という考えによって、学校にも通わせずに…そこそこの暴力も振るってヤりまくった。
性欲大爆発!(当時、そういう社会だったという弁護もひっそりと。むしろ優しい方だったそうだ。今でも、インドの女性差別が酷いことは有名だしな)

16歳頃に父親が重病を患い、その看病にも当たるんだが、性欲が我慢できずに妻を抱いている隙に、父親が亡くなってしまい、生涯にわたって天罰だと考え、「父を殺したのは、私の性欲である」と言っている。


・目指す将来は弁護士

医者を目指して勉学に励んでいたんだが、いまいちそっち方面では伸び悩んでしまった為、家のお抱えの導師(グルと読む。インド特有のメンター的宗教家?)から、弁護士を薦められて、イギリス留学を目指すことになる。
インドはイギリスの植民地であった為、宗主国の法律を学べたら強いわけだ。
ただ、いくら裕福な中産階級とはいえ、留学費用の工面には苦労した。
奥さんの宝石全部売らせたりと、家族に迷惑かけながら留学する。
奥さんカストゥルバーイは既に一児をもうけ、夫からの仕送りもなく、完全居候状態で肩身も狭く、とても大変だったであろうことは想像に難くない😢

実は一度、地元の大学に通ったんだが、英語の授業に全く付いていけなくて、ドロップアウトして、家族から冷ややかな目で見られていたりもしていたようだ。イギリス留学を決意したのは、家に居ると肩身が狭い為、逃げ出したかったという側面もあったらしい。留学を許される際、母親からは、「女性に触れない・酒を飲まない・肉食をしない」を誓わされている。

だが、イギリスは肉食文化の国なので、肉を食べないというのはかなりハードルが高かったんだが、良心の呵責が勝って、貫き通したらしい。
どうしても肉の混じる料理が多いから、そのうち自炊するようになり、やがては菜食主義のコミュニティーまで作ってしまった。そこでコミュニティーの運営方法を学んだ辺りは普通に凄い。

それから、留学生活を困難にしたのが生来の人見知り。船室からも部屋からも出ようとしない為、先輩から「そんなんじゃ英語覚えられなくて困るぞ!」と叱られたりしながらも、なかなか出なかった。
だが、いざイギリスに到着してみると、インド人の格好をしたやつは一人もいなくて、急に恥ずかしくなった。そこで、スーツを揃え、フランス語を習い、社交ダンスも習うんだが、三ヶ月で止めてしまう。
それは、「意味がない」ことに気付いたからだという。
無理矢理イギリスに寄せるのではなく、マナーなどは身に付けつつも、自分はインド人としての自分を保つべきだと思い直した為だった。この辺りは、ガンディーが確りと誇りを持っていることを示している。

様々な宗教も学び、三大宗教は元より、セオフィストという西洋化されたヒンドゥー教のような新興宗教も学んで、改めて自国の宗教を見つめ直すということもやった。生まれた家も商人コミュニティーだったんで、世界中のいろんな人が集まっていて、多様性に関して寛容だったのもある。
キリスト教の「右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ」というエピソードにも感銘を受けたらしい。

セオフィストの会合に呼ばれて、『バガヴァッド・ギーター』というヒンドゥー教の有名な聖典を紹介され、かなり影響を受けたらしい。
内容は、「親戚同士で争うことに悩んでいる青年に対して、義務なのだからきちんと戦え」といった叙事詩なんだが、なぜかガンディーはその中から「自分とみんなは一緒なんだ」という概念や「非暴力」の思想を抽出していく。

そして、三年間イギリスできっちり勉強をした結果、弁護士の資格を取得することもできたので、帰国することとなる。(合格率95%だから、実はかなり簡単)
その際に、彼が立ち上げた菜食主義者のコミュニティーで挨拶をすることになった。事前に原稿を書いて、いざスピーチですってなったときに、全部吹っ飛んでしまってしまって、結局「ありがとうございました」しか言えなかったという…😅
ガンディーは、自分の考えていることを伝えるのが非常に苦手だった。いろんな宗教に触れて、その中から複雑で繊細な内容を受け止めて抽出するようなセンス、インプットの能力はとても優れていたんだが、如何せん、スピーチ方面でのアウトプット能力がぽんこつだった。


・帰国後

いざインドに帰国してみると、母親が亡くなっていた。家族は、勉強の妨げになるからと敢えて知らせなかったらしい。既に父親も亡くなっているし、ガンディーはとても哀しんだそうだ。
その哀しみも何とか乗り越え、弁護士になろうとするんだが、地元が田舎だったので全く仕事がない。そこで、ボンベイという大きな街に行って仕事を探そうとするんだが、喋るのがめっちゃ下手くそだからなかなか仕事が貰えない。そりゃ、弁護士で喋りが苦手って、致命的だよな…😅(←この顔文字大活躍)
初めて貰えた仕事も、凄く簡単な訴訟だったにもかかわらず、反対尋問のときに、考えていたこと全部吹っ飛んで(またか)、「え~っとぉ…」とか詰まってしまって一言も喋れない…。法廷から逃げるように立ち去った挙げ句、自分には弁護は無理ですと放棄した。

流石に弁護士は無理かもしれないと悲観して、英語の教師になろうとするんだが、面接落ちて終了…。
晩年にはイギリスの閣僚会議みたいなところに出たりする人なんだが、最初はこんな感じだった。


・お兄さんから弁護士として頼られたぞ!

この時点でかなり詰んでるわけだが、奥さんの宝石を売らせて、お兄さんからも借金をしているから、きちんと生計を立てて返済したいという思いはある。
そんな中、恩のあるお兄さんが訴訟を起こされる。お兄さんは結構立派な職に就いていて余裕のある人だったから、ガンディーに活躍して貰おうと頼るわけだ。
…結果、ガンディーは裁判で逆に事態を悪化させる😢
流石にお兄さんも呆れて、「こいつやべえな…、ダメだな」って絶望する。
この時点で20代前半。


・この時点で学べること! 大器晩成ほど凄い!!

こんなポンコツ過ぎる人物が、のちのちインド独立の指導者になってしまうわけだ。ポンコツとはいっても、とても思慮深く、こつこつと内面にいろいろ積み上げていったのが、後年、とある気付きによって一気に開花する。
歴史上の人物は、最初からすごい人はたいしたことなく、大器晩成型ほど世に凄い影響を与えるということがよくあるようだ。
たとえば『どうする家康』とかが良い例のような気もする。

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