日本人が失ったもの



「言葉」

まずは言葉。豊かで多様な言の葉。これを日本人は失った。
何度も言っているが、この国は
「三十過ぎても彼氏と彼女」
というのが実態だ。要するに、語彙も思想も中高生時代から「まるで成長していない」わけだ。まあ酒・金・下半身のことばかり考えているのが大半だろうから、これはある意味当然の帰結ともいえるが、それにしてもひどすぎる。
言葉は思考の基本であり、これが貧弱だと思想も育たなければ、文化も社会も育たない。ずっと幼稚なままだ。
それから、この国はアメリカ崇拝をした結果、横文字かぶれとなり、和文漢文の素養を失った。要するに、自国の言葉、自分たちの言葉、自分たちが咀嚼し、取り込んできた言葉で語れなくなったのである。これは痛い。欧米から概念を輸入したところで、欧米人になれるわけではないのに、我々はそれを信じてしまったわけだ。何が「エビデンス」だ。根拠でいいだろう、「根拠」で。なぜわざわざ横文字にこだわる必要があるのか。

言葉は人間的活動すべての基本となるから、この回復は急務といっていい。電話・メール・コピー機・SNSに耽溺し、手紙や日記、資料、随筆を自分の手で書かなくなったことも大きいだろう。まあ、よく言う「身体感覚の喪失」の話である。文化にしろ芸術にしろ、教養にしろ、それらは身体を離れて成立するものではない。身体に馴染んでこそ、力を発揮するのだ。
こうした基本的な「言葉の基礎」すらできていないのに、やれ尊敬語と謙譲語を使い分けろ、だの、誤字脱字がどうだの、口うるさく言うのが日本社会である。
どうでもええわ、そんなもん。順序が違うだろうが。


「自然」

これほど豊かな自然に恵まれていながら、それをまるで大事にせず、ためらいもなく破壊する国、日本。これは世界的に見ても珍しいのではないか。
熊本の阿蘇も、北海道の釧路湿原も、最近は知床なんかもそうだが、とにかく破壊するのが大好きなようである。
なぜ壊すのか?
答えは簡単。「金のため、利権のため」。「やめられない、止まらない」というわけだ。
古くから残る地名を改悪し、けばけばしい名前をつけて売ろうとする不動産業者。そしてそのことを何も気にせず入居する「方々」。山を破壊し、保水力を失わせ、災害の原因を作っておきながら、やれ防災だなんだと騒ぐ。余計な開発はしないことが一番の防災だとなぜ気づかない。いや、気づいているが口にしないだけか。「金」が手に入らなくなるのは、彼らにとっては一大事らしいから。

それから自動車。日本人はクルマ好きで、特に我がホームグラウンド・北海道ではそれが顕著だ。排気ガスを垂れ流して空気を汚し、交通事故で数多の命を奪い、高速道路の建設で生態系をいくら破壊しようが、一向に構わず乗り続ける。
情けない。実に情けない。
豊かな自然はクルマの快適性を確保するために破壊されてしまった。
一方、その豊かな自然を愛し、求める歩行者に対してこの国はどんな仕打ちをしたか。
歩道を削り、歩行者を歩道橋という非人道的な建築物に追いやった。
これが心ある人のやることですか?
まあ、彼らに言わせればそうなんでしょうよ。むしろ、こんなことを主張する私の方が「経済成長を阻む国賊だ!スパイだ!」
と非難されるのでしょうな。
何が経済成長だよ。いくら成長しようがそれが適正に分配されない限り、無意味どころか悪だと何度も言ってるだろうが。君たちは一体いつになったら学習するんだい?

富士山の観光道路もそうだ。最近では鉄道を通す、なんて話も出ているらしいが、バカげた話である。いらんわ、そんなもん。というか、富士山が本当に好きなら遠くから拝んどけ。神聖な山なんだから無闇に立ち入るな。志ある人だけが登る。それ以外は拝む。そうすれば自然が破壊されることはないはずだ。今ポイ捨てがひどいらしいですね。道路なんか造るからですよ。


「故郷」

どんどんいきます。お次は「故郷」
と、言っても、そもそも真の意味での「故郷」を持つ人はどれだけいるのか。
故郷は出身地とは違う。ゆかりが深くなければ故郷とは呼べない。だとすると、私のようなニュータウン出身者は、故郷がない、いわば「故郷喪失者」なのではないか。
ニュータウンにも色々あるが、基本的には自然を破壊し、けばけばしい名前をつけた画一的な部屋、建物であり、入居者も似た者同士で、多様性がない。歴史も浅いから文化もない。そして大抵は郊外に建てられるから、クルマ社会の中に放り込まれる。クルマという極めて個人的・ナルチシズム的空間、ショッピングモールという、極めて無機質で画一的な空間。
そんな空間で育ったところで、果たしてそれを「故郷」と呼んでいいものだろうか。
世の大半の人々は、こうした快適だが軽薄無機質な「無菌空間」で幼少期を過ごし、不便でも豊かな「故郷」を持たずに生きていくのだろう。実に悲しい。

東京一極集中が進むのもある意味頷ける。いくら快適でも、ろくな文化もない軽薄な土地なら、留まる理由は薄い。だったら大都市へ行こう。まあそうなるわな。
しかし、だからといって、いや、だからこそ一度踏み留まる勇気を持ってほしいと私は思う。文化がなければ作ればいい。軽薄さが嫌なら、時間をかけて重厚さを形成していけばいい。焦る必要はないのだ。

テレビでは芸能人の不倫問題が取り上げられ、視聴者はこれを袋叩きにする。
だが、はっきり言わせてもらう。
「バカですか?あなた方は」と。
そんなことより大事な政治・経済の問題を取り上げろ、というテレビ側への不満もそうだが、視聴者も愚かすぎる。不倫した芸能人を「尻軽」と罵るのなら、故郷をいとも容易く捨て、東京に来て居座り、帰るのは盆正月だけ、というあなた方の方こそ、「尻軽」ではないか。一体どの口が言うのか。文化や思想を持たないから軽薄になる。軽薄だからこそ、自分の街を大切にしない。大切にしようとしないから、ためらいもなく出ていく。そしてその先で飛行機や新幹線をバンバン使う。そりゃそうですわな。「文明の利器」が大好きだもんね。「不便な田舎は嫌」だから、都会の誘惑に負けて、すっかり虜になってしまうからね。
まあ色々問題を抱えた代物なんだけど、でも軽薄だから気にしないもんね。「便利だから使おう」「不便だから使わざるを得ない」で終わっちゃうね。ああ、知恵がないねぇ。
まあでも、しょうがないか。君たちが選んだ道だもの。
私?新幹線も飛行機もなくともすこぶる元気に過ごしておりますがな。まあ郊外出身者なので、故郷は未だ不十分。だから残りの生涯をかけて取り戻しますよ。本当の「故郷」を。あなた方が飛行機や新幹線に乗っている間にね。おっとこうしちゃいられない。


「時間」

次は「時間」。愚かな日本人は飛行機や新幹線で無駄な時間を削り、節約したと思い込んでいる。おめでたい人たちですねぇ。
時間というのは「生きて」いないと意味がない。死んだ時間がいくつ束になろうとも、生きた時間には及ばないんすよ。
東京-大阪の移動に24時間かかっていたのが、今や2時間30分。
「よし、21時間30分の時間を節約できたぞ!」君たちはこう考える。
けれども私は違う。
「21時間30分の豊かな時間を失った」
このように考えるわけでございます。
だってそうでしょう?そんなに時間を節約できたというなら、ゆっくり休めばいいのに、あなた方は電車の中で何してます?パソコン開いて仕事してませんか。一体どれほど働けば気が済むのかね?
時間は味わうものであって、節約するものではない。ここテストに出すからよく覚えておくように。
私?北海道から大阪まで行ってきましたよ。2日かけて。もちろん飛行機や新幹線は一切使ってませんがね。だって嫌だもの。忙しない人たちと同席するのは。旅はのんびり。これがモットーですんで。


「身体感覚」

これは文明の発展に伴い、必然的に起こる問題。機械がすべてをこなすから、身体を使わなくなり、それを動かす脳もまた、使わなくなっていく。使わなくなれば衰える。極めてわかりやすい堕落の形ですな。
鉛筆を最後に触ったのはいつだろうか?絵筆を最後に使ったのはいつだろうか?手紙を最後に書いたのは(もちろん手書きで)いつだろうか?
こう問いかければ、どれだけ身体感覚を失ったかがよくわかる。後は、風鈴の音を最後に聞いたのはいつか、とか、エアコンを一切使わなかった最後の夏はいつか、とか他にも問いかけは色々ある。
身体感覚を失えば、真の意味での「生きる実感」は得られませんな。まあ言うだけ無駄かな。スマホ大好きな日本人にとっては。

とにかく言葉を取り戻し、大自然の中に身を置きなさい。ビルとマンションと、欲望まみれの「大人さん」と、機械に囲まれた生活では堕落するばかりだ。くだらないお遊戯に下半身を使うくらいなら、街を歩きなさい。酒なんか飲まずに、たまには駄菓子でも買って食べなさい。新幹線や飛行機を使わないと行けないような所は無視して、もっと地元を愛しなさい。
他にも言いたいことは色々あるけど、今回はこのへんで。
軽薄尻軽を脱却せよ。

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