文劇が思い出させてくれる大阪人の粋について


改めて、文劇6ありがとうございました。
大阪は主人公の織田作の出身地でもあり、私の出身地でもあります。
そりゃ、いつも以上に責任感と矜持を持って職務を全うする所存でございました。

そんな折、作品のクライマックス前に一つの課題が見つかりました。

潜書に失敗した「不良少年とキリスト」の『その後』が劇世界の中でどうなったのかをいかに観客の皆さんに伝えるかという課題です。

この作品は、文豪の顛末を描くと同時に彼らにとってもう一つの命である『作品』を守るという目標が掲げられています。
ですので、その作品が守られたのか失われたのかを観客の皆さんに感覚的にでもお伝えすることは、主題に関わる大事なことなのです。

かといって、堕落の底から這い出てて大ボスを倒すという直近の目標の前に、その情報を滑り込ませるのは、本筋の流れの脱線にもなりかねず容易ではありませんでした。
そりゃ「お前の作品も守れたで、きっと」と一言織田作に言わせれば、解決する問題ではありますが、少々ご都合な台詞となってしまいます。

そこで大阪人の『粋』という技が活用されます。

すなわち、織田作が安吾に今から侵蝕者を倒しに行くと伝える前…

太宰のことを思い出した安吾が自分の作品のことをも思い出したのかどうか少し気がかりとなった織田作。
作品を失えばその記憶も失くすということですので、逆に安吾が作品のことを覚えていたら、作品は守れたということになります。
かと言って、負傷している安吾に「覚えとるんか?」と聞くのも安吾を追い詰めるようで無粋です。

そこで織田作は安吾に太宰の羽織を着せながら「ここはワシに任せとき、不良少年」と言います。

これは安吾に作品のことを覚えているかを試した洒落です。

安吾の作品の中の不良少年は太宰のことです。つまり織田作は安吾がそのことを覚えているか洒落で試したのです。

そして、それを粋な洒落と理解した安吾が「お前がキリストに見えてきたよ」と洒落で返します。
そうすることで織田作に自身の作品の「不良少年とキリスト」のことを覚えてることを伝えたのです。

織田作から端を発したこの洒落は大阪人の偉大な能力であります「笑いというオブラートに包んだ気遣い」なのです。

大阪人はこういう粋なことをよくします。
私はそんな町に長年育ててもらいました。

そんな粋をすぐに理解し反応した主演織田作役の陳内くんもまた、気遣いのわかる男でした。


文劇という作品や大阪人の心や風土は、私に失いかけた大切なことや記憶を思い出させてくれるのです。

知らんけど。

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