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AC_SFIDAとGRAVIS FCからプロになった選手の共通点

2003年から始動したAC_SFIDA。
2011年頃、名前が変わり新たにスタートしたGRAVIS FC。

これまでこのクラブから数百人の選手が巣立っていきました。

僕もうちのその1人。
第一期生として入団しました。
当時はクラブチームの数は今ほど多くなく、僕はあるチームのセレクションを受けて、落選して、AC_SFIDAに入団することになりました。

※セレクションを受けたチームの監督さんとは時々お会いするのですが、「お前、オレの事恨んでるやろ。」と笑いながら言われます。笑


そんなAC_SFIDAとGRAVIS FCからはこれまで4人のプロフットサル選手と1人のプロサッカー選手を輩出してきました。
※ここでの「プロ」の定義として、「プレーすることで報酬を得る」としておきます。

プロフットサルは、僕(シュライカー大阪)、山本篤(シュライカー大阪)、三木誉(デウソン神戸→バサジィ大分)、上村拓哉(フウガドールすみだ)。

プロサッカーは西口諒(長野パルセイロ→MIOびわこ滋賀)。

山本篤・西口諒は僕と同い年。
上村拓哉は2つ下。

三木誉は、指導者として関わっていました。
今でも「林コーチ」と言ってきます。

そんなプロになっていった彼らにはある共通点がありました。

それは練習が始まる1時間前くらいにはグランドにてボールを蹴っていたこと。
そして、練習や試合の空き時間や休憩時間に常にボールに触ってたこと。

指導者から強制されることなく、夏の灼熱の日も、冬の極寒の日も気がついたらボールを蹴ってました。

三木誉にいたっては、学校までドリブルで言ってたという某サッカー漫画でしか聞いたことないようなこともしてたそうです。

実話として、僕が本屋にいたら「林コーチ!」と声をかけられ、振り向くと、ドリブルしてました。
本屋さんですよ。

それくらいみんなサッカーに没頭していたし、夢中になっていました。

そして、もう一つの共通点として、長くサッカー・フットサルを続けていたこと。

このクラブからプロになった選手は、みんな大学経由・大学在学中にプロになっています。
高卒→プロが主流の中で、より長くサッカー・フットサルを続け、チャンスを待ち、逃さなかったのだと思います。
こんなことを言うと彼らに怒られるかもしれませんが、特別才能があったわけではありません。
日々「努力」を重ねた結果だと思います。


そんなクラブの先輩達から学び、現在、自分自身が代表をさせて頂いてるGRAVIS FCでは「サッカーと生きる」を指導理念の1つとして指導しています。

今の時代、プロになろうと思えば、海外に出てチャンスを模索するということも全然可能です。

そのためにはサッカー・フットサルを好きのまま続けていくことが最低条件となります。


休憩時間もボールを蹴ってるような選手を育てていきたいと思います。
最大の敵はスマホゲーム。


生涯通してサッカー・フットサルに夢中になり続けられる、そんな選手を育てていきたいなと思ってます。

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