「個」の追求 〜普遍と特出〜

個=人+固。独立性のかたい人、ひとりの意味をさす。引用:鎌田正:「新漢語林 第二版」,大修館書店

生物には,組織ネットワークを構築する種がいる.一方,個体で生きる種もいる.

猫は同居人として縄張り内にいる他の猫や人間を見ている.つがいになった所を見たことがないが,少なくとも人間社会での「他人」という存在に対してwin-winな関係を構築したりとかはなさそうだ.

蟻や蜂は,自己が所属するコロニーの仲間に対しては無害だが,一度同種の他コロニー出身の個体とアチ合わせると戦闘に入る,とどこかで見た(出典忘れた).あとは他種の幼虫を誘拐して自分の仲間として洗脳?するのを見た.どうやら体臭が重要らしい.

生き物が個を求めることは,コンストラクタル法則よってながれをよりよくする方向へ進化するとされる.方向性には目的が必要だから,生物は生存本能を作り出し,生物として生まれた個体は生き続けることを目的とさせられる.

個がよりよく流れようとすると,個体の形質は環境従属の確率変数によって初期の方向性が決まり,芋づる的に後の進化可能性が大幅に狭まる.
それらの分布は環境適正の高い形質から大きくなると予想される.
つまりはメジャーとマイナーが出る.
生物種の存続(究極的にはDNAの存続だろう)としては,大きな変動によって種の大半が消滅しても特異形質をもった個体が生き残りのち生存形質がメジャーとなり,そこから以前と同様メジャーとマイナーが出現する.

現状の流動性を追求するだけならば,のちの存続可能性は考慮されないはずである.しかし,存続を望む生物が存在する.生物はいつ生存本能を獲得したのだろうか?

今伝わっている哲学では他者観察と自己の解剖によって原理として生存本能が備わっていることを推論している哲人が多く感じる.

原理であるから,それはなにからも導かれない.
しかし,初期宇宙に生存本能が存在するとは思えない.だから物質のながれが生み出したものとして生存本能があると思う.それでも,生存本能が物理法則として顕在している可能性は十二分にある.


ここからは哲学,科学的な妄想から離れて人間の話になる.

人間は生物であるから生存本能がある.同時にメジャーとマイナーがいる.人間的には大衆だとか一般人だとかいえばわかりやすいだろうか.

人間は同種が死ぬととても悲しむし,苦しい.けれど,他の動物を見ていても仲間が死んで涙を流したり鬱になるような生物は見たことがない(個体としては存在する.飼い主を愛する犬とか猫とか).

だから生物の存続可能性をあげることができればマイナーが死に続けようがお構いなく種は存続する.

一方人間は同種のみならずあらゆる生物(植物も含む)の死を悲しむ.だから,マイナーが淘汰されたり抑圧されると彼らを憐れみ,ときには自己を犠牲にしてまでも助けようとする.

つまり場の流れをよくしようと行動しているのだ.各個の流動性向上のみならず,周辺にまで改善を及ぼす.

精神論に言い換えるなら,各個人が自己利益の追求をやめ人類貢献を生涯の最大目標にし,可能な限り大きな視点で今をよくしようとすることが最適解だ.

全ての人が人生を終える時に良かったと言えるような世界を作るには,命を捨てる選択肢をなくすことがいいのかもしれない.

苦悩も絶望も,人生を彩る宝物だ.

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