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頭塔 石仏  


 奈良町東方の住宅地にありJR奈良駅 近鉄奈良駅からも近く「謎のビラミッド」と話題となった頭塔と呼ばれる階段状の土塔は一辺32m 高さ10 mのピラミッドの形をしている あたかも立体の曼荼羅のように多数の浮き彫り石仏が祀られている
はじめて見学した際 堺市で土の塔ではあるが類似している仏塔を見たことを思い出した 大安寺でも参拝したことを思い出し機会を見つけて訪問したいと考えている
出雲近辺でもと思い出し古墳とそして仏教と何らかの関係があるのかと推測した

 重要文化財のため 見学方法 見学時間は管理され自由に立ち入ることはできない  事前予約が必要である
詳細については 史跡頭塔保存顕彰会に連絡して下さい 
  ホームページはhttp://www .pref .nara jp/6709.htm )である

史跡 頭塔は東大寺南大門から南に約1kmのところにある。
史跡頭塔の奈良市教育委員会の掲示板には  大正11年3月8日国指定
外見は森ではあるが本来方形32mの錐台で七段に築かれた土壇からなる非常に珍しい奈良時代の仏塔である。
頭塔は古くから奈良時代の傑僧玄昉の頭を葬った首塚との伝えがあるが767年(神護慶雲元年)東大寺の別当良弁僧正命により造った土塔とされている
各段の四方には現在27基の石仏が残っている
石仏の高さは61cm〜111cmでそれぞれ浮き彫り線形なとで如来三尊や侍者等を表した一群は変化に富んでいる。 奈良時代の彫刻として価値の高いこれらの石仏のうち当時確認できた13基は 昭和52年6月11日文化財に指定された石仏はすべて瓦屋根で覆われているが江戸時代に風雨から護るため葺かれた記録があり日本人の感性がしのばれる素晴らしい思いが伝わってくる日本の仏塔は五重塔などの木造建築が主として作られ残されているが、このような土塔は希少で、このほかの類例として行基が作ったとされる堺市中区の土塔が見られる程度である また、この塔も当時の四仏のの浄土構成図に基づいて建立されたと考えられている         技術の交流もしっかり行われていたようだ考古学の研究論文によると古代における仏塔の歴史については インドネシアのポップドウールと奈良頭塔の関連等ついて 古墳時代中期東日本の埴輪制作技術渡来人について記事がありインドネシアのポップドウール階段状ピラミッド型の仏塔であり、数多くの仏像やレリーフ(浮き彫り)が配置されている頭塔もそれに近く同じ構造を持つ土塔はインドや中国では見られない  
           


                                            



如来三尊像奈良時代後期重要文化財
頭塔石仏の祀られている祠の瓦屋根は江戸時代 風雨から石仏を護るため設置されたと記録されているこのことを知り日本人の優美な感性が見られると感じ取ってしまった
如来三尊像  奈良時代後期 重要文化財
如来像
如来三尊像 奈良時代後期 重要文化財
如来像
如来像 奈良時代後期 重要文化財
石仏の彫刻が掘られた痕跡が見える


飛鳥 奈良時代は政争も多く  祀られている僧玄昉は 聖武天皇の信頼も篤く、吉備真備とともに橘諸兄政権の担い手として出世したが、人格に対して人々の批判も強く、天平12年(740年)には藤原広嗣が吉備真備と玄昉を排除しようと九州で兵を起こした(藤原広嗣の乱)。この乱は失敗に終わった。翌天平13年(741年)7月15日千手経1000巻を発願、書写・供養している。
しかし、藤原仲麻呂が勢力を持つようになると橘諸兄は権勢を失い、玄昉も天平17年(745年)筑紫観世音寺別当に左遷。封物も没収され、翌天平18年(746年)任地で没した。頭塔について更に研究調査し撮影してさらに研究したいと考えている

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