人の関係は相対的・前編 〜すぐみかは尊いがそれは話の本筋じゃない〜

あるマンガで好きな言葉がある。

「人の関係は相対的」
「誰かにとってのクソヤローも、誰かにとっては優しい彼氏なんだよ」

この言葉の前提を説明したい。
マンガ「ハイキュー!!」で戸美学園高校バレー部のキャプテンを務める大将優(だいしょう・すぐる)というキャラクターがいる。

彼のモットーは「勝つためなら煽りも媚びも全力で」。
審判に見えるところでは爽やかに。相手チームには圧力と煽りを。といったように、審判の心象や相手のメンタルも戦略に組み込む。
一言で言えば「性格の悪い選手」であった。
私はこのキャラクターが大好きなのでその一言で終わりたくはないが、本筋から逸れるので割愛する。

大将は彼女であるミカちゃんに「優はバレーばっかでつまんない」と言われてフラれている。
(「フラれてねーしフッたんだし!」と本人は言っているがたぶん強がりだろう)

大将率いる戸美バレー部は都大会の3位決定戦で敗れて全国を逃す。
実はミカちゃんがその試合を観に来ており、負けてひとり佇む大将にこう声をかけた。

「東京で4番目に強いんでしょ。それってすごいことじゃん」
「かっこよかったよ」
「今度、バレー教えてよ」

「バレーばっかでつまんない」と不満を告げた元カレのバレーを観に来て、かっこよかったことを告げに行ったミカちゃんとその時の大将の気持ちを考えるだけでご飯が進む。すぐみか尊い。

閑話休題。
かくして彼らはヨリを戻し、その後の春高バレー全国大会をふたりで観戦する様子が描かれている。

大将のチームを破った音駒高校。
その音駒が敗れた試合を観ていた大将は、音駒の3年生に遭遇し、ミカちゃんがその場を離れたスキに
「敗北者(こっち)側へようこそ」
と煽りまくった。

ミカちゃんの前では猫を被っていた彼だが、音駒を煽っている途中でミカちゃんが戻ってきていたことに気づき、急いでその場を離れる……というのが本編で描かれていたお話。
ここから先は単行本の書き下ろしになる。

「絶対さっきのミカちゃんに見られてたよなどうしよう」と焦る大将。
そんな彼にミカちゃんは「優が性格悪いのは今に始まったことじゃないじゃん」と笑い飛ばしながらこう続ける。これが冒頭の言葉だ。


「人の関係は相対的」
「誰かにとってのクソヤローも、誰かにとっては優しい彼氏なんだよ」


「ミカちゃん……!(キュン)」となった大将の気持ちがわかりすぎてありあまる。すぐみか尊(ry

さて、ハイキュー!!から話は変わる。
(ハイキュー!!が好きすぎてすぐみか以外にも語りたいことはたくさんあるがそれは別の機会があれば)

私はこの言葉で「いくらクソヤローでもその人を大切な人がいるんだから大目に見ようよ」ということを言いたいのではない。

経験はないだろうか。
「あの人にこんなことされたんだよね……」「私あの人苦手でさ……」と打ち明けると
「気にしすぎだよ」とか
「そんな悪気あるわけじゃないって」とか
「悪い子じゃないからさ」とか
ある意味ポジティブに返されるパターン。

うるせえ。と思う。
そう返してきた人にもその人なりの考えがあって言っているのだろうけれども、そう言われた瞬間「そうだよねー」と返しつつ「もうこの人には相談しないようにしよう」と心を閉ざす。だっていいことないもん。

つまりは、
「人がなんと言おうと自分にとってクソヤローならそれが真実だろう」
と私は思うのだ。

「誰かにとってのクソヤローでも、誰かにとっては素敵な人」であるのならば、別に私が無理してクソヤローを好きになる必要もないだろう。あなたを素敵だと思う人にどっかで巡り会ってくれればいい。

逆もまたしかり。周りから陰口を叩かれている人だろうと、自分にとってはいい人だということもある。周りの評判に流されて自分の感情を見失わないようにしたいと思う。

というわけで私はこの言葉が好きなのだ。
この言葉を実感した体験談は後編にて綴りたい。

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