「戦争調査会」 ー「戦争は簡単に避けられた」という主張
井上寿一「戦争調査会」を読んでいる。
この本は戦後2番目の内閣である幣原喜重郎内閣で組織された大東亜戦争を検証するための「戦争調査会」について書かれているのだが、大変面白く、いずれ全体的に書きたいと思うのだが、今回は読んでいる途中で渡辺銕蔵という非常に興味深い人物が出てきたのでそれについて書きたいと思う。
Wikipediaによると渡辺銕蔵(わたなべ・てつぞう)は明治18年生まれ、東大法科大学(法学部)を出てイギリス・ドイツ・ベルギーに留学、帰国後法科大学助教授となり北里柴三郎の長女と結婚、31歳で教授、翌年法学博士。大正8年には経済学部創設に関わり教授に就任したが、学部内にマルクス派の助教授が増えたことなどから大学を辞し、昭和2年に東京商業会議所書記に。翌年東京商工会議所と名を変え理事就任、日本商工会議所を創設しその理事も兼任した。軍部の統制経済に反対して辞職、昭和11年民政党から立候補して衆議院議員となるが翌年落選。昭和13年には渡辺経済研究所を作り、世界各国の財政・物価・国防資源などの調査研究を元に論文・著作を多数刊行し、日独伊三国同盟反対や対米戦争を批判し、戦時中には投獄もされている。ただの学者ではない。法学部・経済学部系の人だとこういう道もあるのだなと思う。
戦後は東宝社長になり東宝争議で共産党員の社員解雇を断行し、これによって多くのスターやスタッフが新東宝に移ったという。マキノ雅弘に対し「映画で屁をこくことは客に失礼である」と叱責したというエピソードをマキノが書いているという。
という人物なのだが、戦争調査会における渡辺の基本的な主張は「戦争は簡単に避けられた」というもので、この点で異彩を放っている。その論拠は「大正年間にアメリカのデモクラシーが流入して二大政党制が成立し、またアメリカの大衆消費文化も入ってきたので、思想的・文化的側面からアメリカとの戦争は避けられた、という点が一つ。これは確かに、「日米もし戦わば」みたいな架空戦記物以外で対米戦争を想像していた人は軍部以外少数だっただろう。そうした世論をうまく誘導したら戦争を避けることは可能だったと思わなくもない。ただ例によって新聞は悪いことを書きたがるので、移民法の問題などでアメリカ非難の論調などが強まったということもあったのかなと思う。(この件に関しては未確認)
もう一つは、英米がオタワ会議やブロック経済で日本をいじめていたというのは誤解であり、ブロック経済によって孤立した資源小国日本が戦争せざるを得なかったという主張は「正反対」であるとしたことだという。
実際、今日の研究によると大恐慌後英米がブロック経済に走ったのに対し、日本は開放的な貿易体制の国であり、ブロック経済に挑戦する立場で、1930年代には実際にアフリカや中南米などに輸出を拡大していたのだという。日本の輸出は1928年に比べて1937年には金額ベースで1.6倍、数量ベースで2倍以上になっていて、英米のアジア植民地経営も日本に対して排他的ではなく、日本製品の輸入と日本への一次産品輸出を希求しているという点で開放的だったという研究成果を上げている。
これはかなり目から鱗というか、なるほどと思う主張で、1930年代には高橋是清の積極財政のもと昭和11年まで経済成長を続け、このころ戦前最大の国民総生産となったという話と一致する。軍部の発言権増大と内閣による統制の不十分さによって(つまりは統帥権問題だが)国際政治の軋轢はあったが、経済状況から見れば戦争する必要はなかったという主張は理解できる。
その見地に立つと戦争が避けられなかった原因は経済過程ではなく政治過程にあるということになると思うが、その辺りのことについてはまた読んでいきたい。
戦争前後の日本にもこういう人物がいてこういう見解を持っていたというのはとても興味深いと思う。
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