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ふみふみこさんの「ぼくらのへんたい」10巻(完結)を読みました。

ふみふみこさんの「ぼくらのへんたい」。連載が始まったのがコミックリュウの復刊1号、2012年5月号でした。それから丸4年。今までの表紙は二人が描かれていましたが、最終10巻は三人の笑顔。ハードな部分も多い作品でしたが、ハッピーエンドに漕ぎ着けられたという感じで、一読者としてもホッとしています。

収録されているのは38話から41話。それぞれの回の感想はこちらにあります。38回の感想が抜けているので、今回その部分も少し書こうと思います。

今回は発売日に東京にいなかったのでとりあえず地元の書店で買って読了し、昨日(13日)秋葉原のコミックZINへ行ってペーパーが封入されたものを買いました。特装版というわけではないのに二冊買ったのはペーパーが欲しかったからですが、やはり買ってよかったと思います。

単行本が10巻出揃い、最初から読み直してみるとまた違う感想も出て来る気がしますが、きょうはまず現時点で思ったことをいくつか書きたいと思います。

まりか(裕太)が中一、亮介(ユイ)が中二、パロウ(修)が中三で始まった話ですが、38〜40話はその2年後、まりかが中三で修学旅行に行くところから話が始まります。一日目の奈良、その夜と次の朝。まりかは9巻ラストのみんなで行ったカラオケで、自分が好きなパロウが亮介のことを好きなんだ、ということに気づいてしまいます。でもその亮介の隣にいてしあわせそうなパロウの顔を思い出すと、「どうしてだろう。全然。かなしくない」と思う。見上げるのは奈良の空。ともちに話しかけられて現世に戻ります。「元気ない」と言われてともちが心配してくれることに少し顔を赤くします。

ここのカラー、とてもいいのですが、何というかリュウの発売当時、何か感想が書きにくかった感じが今でも分かります。

そして、その晩、あかねは「タムリン好きなのやめたんだ」、とまりかとともちに言います。タムリンとはパロウのあかね語です。このあかねの微妙な心の動き、カラオケに行った回の目の描写にちょっと心配になるところがあったのですが、文字通り吹っ切れた、ということなんでしょうね。「私はみんなで楽しくやっているのが好き」。それもそれで、よくわかります。でもやっぱり多分、それで大人になったんですよね。

今考えてみると、あのカラオケは凄くみんなが変化するきっかけになった。一番変化してないのは言い出しっぺの亮介なのですが、まあでも亮介って言うのはそういうやつなんですよね。正直、一番先に吹っ切れて一番先に楽になってますしね。あと、ともちの一途さ。物語の光明の一つです。

その夜。男子とも同室に出来ない、女子とも同室に出来ないまりかは担任の先生と同室に。先生に「好きな人が他の人を好きだったらどうしますか」と尋ね、「正直へこむけどどうしようもない。で、青木はその人にどうして上げたいと思う?大事なのは自分がじゃなくて相手のことを考えることだと思うんだよ」と言われます。

これは凄く重要な言葉ですよね。まりかはずっと自分の生き方を見つけようとし、自分を肯定しようとがんばって、ついに学校でも女子の服装をすることを勝ち取った。その支えになっていたのはパロウへの思いだったわけですが、でもパロウは自分の方を見てくれない。

でも、パロウが凄く辛い人生を生きて来たことは分かっている。それを救うためになら、自分が身を投げ出してもいいと思うくらいに、まりかはパロウのことを考えていたわけです。

そのパロウが、亮介の隣でしあわせそうにしている。まりかは思います。「その人が笑っていてくれたら一番嬉しい。泣かないでいてくれたら。隣にいるのが私じゃなくても」と。

ここのまりかの、涙を流しながら笑う顔は、本当にすごい。なんだかんだ言って、まりかはすごく芯の強い子で、そういうふうに思い切れるのですよね。「パロウさんは私の王子様だった。どれだけ望んでも叶わない、私の夢の最後の砦」。

現実から逃避して、ぬいぐるみたちと妄想のお姫さまごっこをしていた子が、そんなふうに思う。パロウさんが幸せでいてくれることが、自分の夢の、最後の砦だと思える。そして吹っ切れたまりかはその翌朝ともちに「元気になったみたいだね」と言われて、ともちの思いと、自分のともちに対する改めて気づきます。

ここまでが38話でした。

この回は連載と単行本での手直しが絵とセリフと両方にいくつかありましたが、一番大きな変化は40ページから41ページの吹っ切れた朝のやり取り。「げ、元気ないとか、そんなに顔に出てる?」というまりかにともちが「言ったでしょ。よく見てるって」と答える場面です。41ページの上段にセリフだけのコマがあったのが40ページにまとめられ、左側の41ページは右のコマにともち、左のコマにまりかのすっきりした構図になっていて、とてもいいと思いました。

39話でまりかとともちがいい感じになり、40話で北上高校での美人コンテスト。「いいじゃない。みんなへんたいで」というパロウのセリフがこのストーリーのある意味での結論、みたいなものだと思うのですが、まあそこに行くまでが大変だったわけですよね。

41話は後日譚、まりかの高校卒業の話。舞、白河、はっちといったちょっと気になる脇役たちのその後も含めて物語が収められて行きます。亮介は理系男子に、まりかは事務系女子に、パロウは演劇系男子(または女子)とそれぞれ意外な成長をして、でもそれぞれが自分のところを得て。「蛹が蝶になるように 固く閉じた蕾が朝開くように ぼくらは変化して来た。そしてこれからも。ぼくらはへんたいする」

この物語、終わり方は、本当は多分一つではないんだろうなと思います。いろいろあり得る世界の一つの未来。でも三人がそれぞれの力で、それぞれ周りの大人の助力も含めて傷を癒しあって生きる方向を見つけて来た。その軌跡の物語は、ある意味作者さんの手を離れて、もう動き出しているんじゃないかという気がします。

あとがきに書かれていたしどこかのインタビューにも書かれていましたが、ふみふみこさんは最初この三人がどうしても好きになれなかったとか。その感じは分かるんですよね。ときどき、とてもいやな感じに描かれていて、逆に読んでる方がこの三人が不憫になって過剰に思い入れをしてしまうと言うか、そんな感じがあった気がします。

この三人を好きになる努力を、多分作者さんはして来ていて、その必死の思いがこの三人を成長させたように思います。作者とキャラクターたちのバトル。マンガの醍醐味だと思います。

この物語、構造的にいろいろ読もうと思えば多分読めるので、これからそういう論考を描く人も現れてくるんじゃないかという気がしますが、例えば私が気がついたことで言えば、この物語は「父」が不在の物語だ、ということです。

まあ、村上春樹さんの小説もよくそういうふうに言われていますし、現代にいて父親というものはどういう風に存在しうるのかというのはなかなか答えるのが困難な問題ではあるわけですけれども、「男の娘」という存在に取って、一番厄介なのは多分父親という存在なんだと思います。その父が不在だと言うことは、おそらくは意識的に避けたのだと思いますが、そういう当たり前の物語にしたくなかったのだと思います。

まりかの父はずっと大阪に単身赴任をしていて、亮介が母を訪ねる際に付き添って行った新幹線の中の会話で出て来るだけ。まりかのおかあさんは「「娘」と友達のようなお母さん」ですし。まりかのおかあさんはまりかが「性同一性障害」であると診断される時に「理解ある母親」として出て来て、ここはすごく救われました。母親の力、医者の力、先生の力、そういうものをまりかはわりと素直に使う、というか受け入れて、それを自分が自分らしく生きるための原動力に変えて行く。本当は一番したたかなのはまりかなんですよね。逆に言えば、父親の役割を医者や先生がしているとも言えるわけですが。

亮介の父親は姉が死んで精神に異常を来した母親をほったらかしで仕事に没頭し、「新しい恋人」を亮介に紹介しようとすらする。亮介はすべてに見捨てられた中で、母親を何とかして支えるために、失われた姉を演じ続ける。そこには頼れる父親の存在はありませんでした。しかし、はっちが家に来たのをきっかけに母親が病院に入れられ、亮介は張りつめ続けた自分の心の在処を見失ってしまう。

しかしそこで、「父」が復活するわけです。三人の中で、一番普通の男の子である亮介には、やはり「父」が必要だったのだな、と思います。それまではこの父親は当てにならないなと思っていたのでちょっと戸惑いましたが、でも一番亮介が必要とするように父親は動いてくれて、それで前向きに高校進学に向けて勉強もできるようになって行った。彼に欠けていたのは多分「父親」とか「男」という存在で、岡山からの帰りにまりかに告ってからの亮介は、本当に生き生きとした男の子らしく暴れていて、亮介に思い入れしがちだった私もすごく嬉しかったです。

パロウにいたっては親自体の影がすごく薄い。母親も子どもの頃大学生に性的いたずらをされたことをパロウが思い出す回でその記憶との繋ぎ役みたいな感じで出て来ただけで、一番ひとりぼっちだった感じがします。一番裕福なんですけどね。父親は一言も出て来ないので、いるのかいないのかすら分かりません。まあ良くも悪くもパロウは(変に)「自立」したキャラですから、親の出る幕はないという感じではあるわけですが。

改めて、現代において親であること、特に父親であることは、大変なんだなと思うのでした。

お話自体の性格で言うと、元々この物語は男の娘三人のファンタジーみたいな要素が強かったのが、だんだん現実にぶつかって行く成長物語に変化して行った感じがします。最初は少しその変化にも戸惑ったのですが、その「ぐいっ」として変化の感じも含めて、この作品の魅力なんだと今では思います。

そしてさいごに、「ZIN」で封入されていたペーパーについて。もうこれはすごく好きでした。表は、ネット上にもあるまりか・ユイ・パロウ・あかね・ともち・はっち・舞の7人のセーラー服の集合写真(?)。裏はラストで集まった3人が今までのようにお洒落な店に行くと思ったら居酒屋に行ってて(笑)パロウが「結局幸せになったのはまりかだけじゃない?」と絡んでいるのが可笑しいです。コマの間にこそっと「アラサーパロウさんの同人誌出します・・・」と書かれていて、「欲しい!」と思いました(笑)。亮介は中学以来相手がいない、パロウも何人か付き合ったけどうまくいってない、というのもアレですが、ともちとまりかのバカップルぶりも可笑しいです。

本誌を読んだときは亮介ははっちとよりを戻すのかと思いましたがそんな単純な話でもないんですね。で、パロウは亮介を思い続けている。これはまあ本誌でもそう読めましたが、亮介はさらっと受け流していて、まあこの二人の関係はこんな感じで行くのかな、という感じです。友達以上恋人未満(笑)みたいな感じで。

とにかく、まだまだ「続き」が気になるお話なのですが、ここで終わり、というのが「余白の美」というものでしょう。

ふみふみこ先生、4年間魅力的な作品をありがとうございました。次回作も期待しております。

このnoteを読んで下さる皆さんも、きょうもお付き合いいただいて、ありがとうございました。

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