見出し画像

この世に生まれてきた全ての目的。  法華経について

法華経を自分なりにまとめてみました。

この人生では自分の法華経を書き上げ、人々に伝えることが最終目標です。
少しずつではありますが、更新し続けようと思います。

私の法華経のベースの考えは小宮光二先生、まつもとこうじ先生です。
その他、様々な法華経を書籍を参考にしています。

「法華経:第20章 常不軽菩薩品の解説」

ゲイツやDS、DSの実行部隊の自民党などのクソ支配者たちもいずれは如来になります。

誰も軽蔑せず、常に心を穏やかに。

法華経は、私たちが心を動揺させるような出来事にも平静な心を保つための指針を提供しています。最近、私自身もLGBT法の成立というおかしな出来事について考えることがありました。ジェンダーアイデンティティについて理解を深める必要があり、以前は自民党に投票していたこともありましたが、そのような選択肢を見直すことを決意しました。今の政権にはDSの影響力があると言われることもあり、社会は複雑で困難な状況に直面していますが、私は法華経を学ぶことで不思議と怒りの感情を抱くことなく心穏やかに過ごすことができました。

法華経の中でも、「誰も下に見てはならない、見下してはいけない。」というメッセージが述べられています。第20章では、サダーパリブータ菩薩の物語が語られており、彼は法華経を読むことも理解することもせず、書写することもありませんでした。しかし、彼は他人に対して決して悪意を抱くことはありませんでした。

法華経は、教えを理解し他の人に伝えたり、書写をしたり・させたりすることによって驚くべき福徳をもたらすとされています。私自身も「ジュキ」を受けていないまだ修行中の者でありますが、法華経を読み、聞き流し、理解しようと努力し、本当に少しずつではありますが重要な章については書写も進めています。

法華経の読誦、書写、理解などの形式よりも大切なこと。

では、なぜ20章にこのような形式を満たしていない菩薩が現れるのでしょうか。その理由は、争いをやめ、誰も軽視しないことが非常に重要だからです。法華経を学んでいても、他人を見下す心がある限り、それは真の教えではありませんし、解脱もできません。

私自身、ゲイツ氏やロスチャイルド家、ディープステート、そして自民党などの実行部隊に対しては嫌悪感を抱いています。ここで詳しく触れることは言論統制のリスクがあるため避けますが、新型コロ助のチクワの影響により友人を失ってしまいました。今年の福島のマラソン大会で彼が倒れて亡くなったのです。彼は私にとって大切な友人であり、その喪失感に悔しさを感じています。私は家族や友人に対してチクワの危険性について警告していますが、陰謀論者として扱われるだけで、自分の無力さを痛感しています。皆さん、政治家・お医者様の言うことしか聞かないのです。

頭では「他人を軽蔑してはいけない」と理解していても、私もDSをクソだと思っていますし、自民党に対しても嫌悪感を抱いています。さらに、支配者層はこの現実の世界と物質的な存在だけが全てであると勘違いし、さまざまな人口削減計画を実行しているようです。しかし、私たちはこれらの感情にとらわれず、心を軽く保ちながら前に進む必要があります。法華経に夢中になると、世の中で起きている出来事に対してどうでもいいと思えるようになります。彼らは邪魔な存在かもしれませんが、私たちは法華経を勉強し続けて自らの道を歩むべきです。

何度も言いますが、私たちを消そうとする支配者たちもいつかは仏縁を持ち、如来となる運命にあるのです。彼らも必ず、いずれは仏縁を持つのです。法華経は、全ての人が平等であることを教えています。この教えは私たちにとって非常に重要なものです。私たちは誰も軽視せず、争いをやめることが求められています。

私たちは皆、同じ人間として尊重されるべき存在なのです。どんな立場や出自であっても、私たちの持つ価値は同じであり、上下の区別はありません。争いや差別を捨て、互いを尊重することで、より平和な社会を築いていくことができるのではないでしょうか。私もまた、何があろうともそうした心の持ち方を目指していきたいと思っています。

以上が、私の考えです。皆さんもぜひ、法華経の教えを心に留めて、日々の生活に取り入れてみてください。今回は第20章「常不軽菩薩品」を取り上げましたが、法華経にはさまざまな教えが詰まっています。自身の状況や日常の出来事と照らし合わせながら、自分自身を高めていくことが大切です。

<参考文献>
『法華経』(上・中・下)坂本幸男・岩本裕訳(岩波文庫)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?