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口内炎は何度できても噛むもので

年末の暮れ感を思わせる。そんな5月末日だった。

暑くなったり寒なったりジメジメしたりカラッとしていたり。
変化が激しいけれど、朝晩は安定して涼しくて、静けさの支配する1ヶ月間だった。

眠るときは半袖短パンに掛け布団を一枚。
涼しく静かなひとときに、日の出か日の入りか、そんで星空の下を散歩したりランニングしたり。
自然や周囲の環境と歩調が合って、リズムが流れる営みは気分がいい。余計な考えから解放される。

GWごろは「五月病とか関係ねぇ」とか思っていた。
しかーし、世の中はそんなに甘くない。見事に五月病に陥ったオレ。

ああ、でも思い当たる節はあるのだよ。外的要因、内的要因。
こういうときこういう傾向があるよな、というパターン。
自分で機嫌とる術は備えてきた、あるいは他者に頼る判断。
そんでコントロールできるようになってきた、だんだん。

そんで、こんなときってのは雑念払ったあとに体に入ってくるものに対する感受性がすごく高まるなとは思うところ。目にするものでも食べるものでも、スーって入ってきて、いちいち感動する。スゲー! とかウメー! とか。

誰かがつくった焼き菓子にいたく感動したり、なんでもない夕方の公園の家族の風景に感動したり、ランも佳境の頃合いに目にする絶景に感動したり、焙煎したて挽きたてのコーヒー豆をドリップしたときの香りにんほぉーたまんねーってなったり、頭が疲労したときに大型書店をふらふらしてるうちにエンパワーされたり、そのあとに活気のあるスーパーでまたエンパワーされたり。

ああ、オレ、このときのこの感じ好きだよなって、何度もいいなあと思ってしまうことに対して、ああやっぱこういうの好きなんだなって“再”認識したり。

兎にも角にも、何かに没頭していたり集中していたり感動していたり好奇心に身を任せているときの「孤独さ」は爽快で気持ちがいい。

毎度のことだが、5月末ごろはなんか憑き物が取れた感があってちょっと吹っ切れたりシンプルに物事を捉えられたりできる。

っていうことが来年の今頃も起きているのでしょう。

その状態に飽きることなく、昨日できたばかりの口内炎を毎度のごとく噛んでしまうように。どんなに注意していても起きることは起きる

なんかもうこの時期はいろいろ諦めて、無為自然でありオプティミズム(楽観主義)でいるのが自分の性格や気質には合っているなと思う。

昨日立ち読みした『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に「全身全霊をやめよう、半身で生きよう」みたいなことが書いてあって、五臓六腑に染み渡る感じがあった(なので買おう)。

時には全身全霊は必要だと思うが、この5月のような時期は半身でいるのがいいのかもしれん。

とまあ、今のわたしはジェーン・スーと堀井美香のトークを聴きまくって機嫌がいいのだ。
「アツアツあんかけ」はその大人気なさに笑った。

みんな変なヤツでいよーぜ。ジェーン・スーが最近そんなこと言ってた気が(どうせ組織の中で社会人を長年やればマトモになっていくのだからと)。

そんで、寝て起きてやってきた6月。今年の梅雨入りはいつになるのか。快晴の6月1日の宮崎市より。


文中の写真は1枚を除いて趣味のランニング中、この5月に撮ったもの。
並べてみて何かリズムいいなと思っていたら、ほとんど同じような画角や切り取り方で撮っていた。おそらく自分の好きな撮り方が意図せずとも出ているのだろう。

ちなみにすべてiPhone7だ。最新スマホやデジタル一眼レフやミラーレスでなくても、いい写真、気に入った写真は撮れるものだ。


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